2003/03/01UP
朝の習慣
当然と言えば当然だが、新聞記事を書くだけでなく、新聞を読むことも重要な「業務」の1つになっている。 自分が知らない話が他紙に載っていれば、上司からどんな罵声が飛んでくるかわからないし、意外な取材のヒントを得ることだってある。だから、毎朝ページを繰るのにもちょっとした緊張感が必要だ。 順番もほぼ決まっている。他紙の県内ニュースをざらりと眺め、次に社会面、政治面。最後が自分のところの新聞という流れを繰り返す。◇現在、自宅で購読しているのは全国紙4紙と本紙の5紙。 本紙の場合は「仙台用」「仙南用」「福島県用」と最低でも3種類があるから冊子数で言えば7つになる。「日本の新聞は横並びでつまらない」という批判もいただくが、じっくりとはいかないまでも、 これだけの種類を読んでいると各社の主張や価値判断の相違が見えてくる面白さがある。◇新聞を読み始めたのは中学生のころだった。登下校時、友人たちと時事問題について話し合った記憶がある。 1980年ごろ。「(旧)ソ連問題」「エイズ特効薬」「石油枯渇」なんかが当時の主要話題だった。AIDSを「エイドス」なんて誤読していたから、多分友人たちもテレビ、ラジオの耳学問じゃなくて 書物から知識を得ていたのだろう。拙い会話ではあったけれど、子ども心にも無関心ではいられない社会的な雰囲気がその頃にはあった。◇でも、当時から社会の成熟度は増しても、 時事問題は複雑になることはあっても全てが解消されているわけじゃない。国内の経済事情はもちろん、最近の海外情勢1つをとっても、深刻で、先行きが見えないものばかり。 果たしてこの状況を今の子どもたちはどう感じているんだろう、と考える。不安や不満を抱いているなら救いがある。一番心配なのは、この現状を「知らない」こと。そして、社会事象に「無関心でいること」なのだけれども。