2003/11/01UP


文章作法

 意外に思われるかもしれないが、入社してこの方、社内で特段の文章訓練をしたことはない。 「簡潔に」「分かり易く」「正確に」。記事構成の三原則を教えられた後は、個々の原稿についての上司から密着指導を受けながら、体で覚えていくよりほかない。 「何だこの原稿は」「まるで0点だ」。新人の頃には、時に罵声を浴びせられながら、上司の手で生まれ変わっていく自分の原稿を唖然として見つめたものだ。自信とプライドを傷つけられる 瞬間でもあるが、時に明け方まで続く熱血指導で学ばされたことも多かった。◇「前文、半分」。特に重要なのが「前文」「リード」と言われる最初の1段落。100行だろうが200行の原稿だろうが、 この一文にその後に続く本文を要約しなければならない。ここの出来、不出来で後段が読まれるか否か、善し悪しの半分が決まるとも言われた。その他、「接続詞は基本的に使わない」「修飾語はなるべく排す」 といった技術的な制約もある。これは短い文章になるべく多くのエッセンスを詰め込むための先人の知恵なのだろう。◇一般に行数が長い原稿ほどまとめるのに時間がかかるものの、その労力が必ず比例するわけではない。 一般的に最長の部類に入る100行ほどのものが1時間ほどでできることもあれば、最短のc行の原稿に3日ぐらい熟考することだってある。文章構成や展開はある程度、理屈で導きだすことができても、 表現手法は個々人のセンスが問われるものだ。呻吟すればするほど、最適の言葉、表現が見つかった時の達成感、爽快感は大きい。新聞記者である以上、文章家ではないのだから名文家になる必要はないだろうし、 能力的にそうなれないのも分かっている。ただ、どんな秀麗な言葉で綴った文章も、実直な取材に基づいた原稿にかなうものはないだろう。表現は無骨でも、事実に裏付けられた芯を持った文章を放ちたいと願っている。