2003/09/01UP
田舎の矜持
「(全国的な)政治、経済の話題が少ないから河北新報は読まない」。 先日、酒席でこんな言葉をかけられた。初対面の方だったから、その真意は分からない。 聞きようによってはいささか挑発的な文言だな、などと思いながら、「最高の褒め言葉ですよ」と応じておいた。 酔漢を適当にいなしたつもりはない。半分くらいは本気が交じっている。 裏をかえせば、「地元の政治、経済の話題しか載っていない」という意味だと解釈したからだ。 ◇新聞、いわゆる日刊紙も多種多様だ。東京に本社を置く「東京紙(全国紙)」、 東北、中部地方などブロック単位で発行する「ブロック紙」、県単位の「県紙」、 一定のコミュニティー内で出す「地域紙」まで、その規模は分かれている。 個人的に一番の相違点と思っているのが「何に主眼を置いて紙面を構成しているか」という点。 本紙で見れば、全国紙とページ数に大きな違いはないからニュースの総量もほぼ同数になる。 経験上、記者の質も会社の規模に比例するものではなさそうだ。ただ、東北、 とりわけ宮城県内のニュースに紙幅を提供するから、必然的に首都中枢の話題は割を喰う格好になる。 卑近な例を挙げれば、首相や都知事の動静より浅野知事の動向を注視し、九州と隣町で同時期に同じような災害があれば 、隣町の事件の見出しを、そこには確実に人々の営為がある。だったらより身近な話題、生活に直結する記事を提供したい。 そんな思いが今の生活の原点にもなっている。◇かつて他支局の友人から「地元で『田舎新聞』と揶揄された」と 憤慨した様子の電話をもらったこともある。その時、侮辱的な意味で「田舎」が使われたのなら、非常に不幸なことだと思った。 何よりも、地元を取材する新聞が『田舎くさい』のなら、発言者自身が自分の郷里を卑下、侮蔑していることになるからだ。 幸い、私はそんな体験はない。でも、もしそう嘲笑される場面に遭遇したら胸を張ってこう言い返そうと思っている。 「その通り。よくご存じで。私はその『田舎』に自信と誇りと敬意を持って、田舎支局長をやらせていただいています」、と。