2003/07/01UP


地域の記憶

 先日、歴史作家の星亮一(郡山市在住)と会う機会があり、歴史談義(聞く一方だから講義?)していたら、話題が会津若松市と山口県萩市の「歴史的和解が可能か」というものになった。言うまでもなく、両市は戊辰戦争で官軍、東軍に分かれて戦を交えた遺恨が残る場所だ。会津では和解の是非が市長選の争点にすらなる。両市長が対話を始めたのは知っていたが、果たしてどうなるものか・・。そうしたら星さんが面白いことを教えてくれた。「実は和解するなって若い人が多いんだ。和解したら観光名所じゃなくなるって」。和解を果たせばもはや白虎隊の悲憤も色あせるということだろうか。なるほど地方の歴史にはそんな現代に通じる意味もあるのだな、と妙に納得した。◆もちろん純粋な反対論も根強いに違いない。かつて、会津の縁戚に市内を案内してもらったことがある。「この前の戦争ではここで○人が死んでね」「ここに銃弾が撃ち込まれた」等々。郷土史家でもあるその人の説明は微に入っていた。迂闊だった。しばらくして違和感を感じ、ようやく気づいた。「この前の戦争」ってのは太平洋戦争じゃなくて、戊辰戦争のことだったのだ。 彼にとって戊辰戦争は過ぎ去った遠い話ではなかったようだ。「敗戦側の憤怒と怨嗟とはこんなに根深いものなのだ」とあらためて痛感した。◆改めて思った。振り返れば学校で習った明治維新に登場するのは、いずれも日本西部の人々ばかり。幕府側で戦った名将、有志の名前はほとんど出てこない。「官軍」なんて(ある意味)一方的な名称を疑問も持たずにノートにとった。明治維新を否定すれば近代日本の成り立ちが崩れるのは必定。だから「国史」が維新の英雄を取り上げるのも当然だ。でも、歴史は洗練された一本のストーリーでは決してないはず。地方には地方の歴史と記憶があり、 その解釈も裁量があってしかるべきなのではないだろうか。地域に浸透した歴史を愛し、町の求心力にすらなっている会津の町が、ちょっとうらやましく思えてきた。