2005/08/01UP
難 問
◆「英同時テロ/射殺男性は無関係」。7月下旬、ロンドン警視庁が自爆テロ犯として射殺した男性は、実はテロと無関係のブラジル人電気技師(27)だったという。声を掛けられて逃げ出してしまったために犯人と間違われ、「爆弾を爆発させるのを防ぐため」として頭部に5発もの銃弾が撃ち込まれた。取り返しのつかない警察のミスだったわけだが、「悲しい事件だった」とため息をつくだけでは片づけられない問題をはらんでいる。◆昔読んだ法律の教科書に、こんなたとえ話が説明されていた。「10人のうち、凶悪犯が9人紛れている。 残り1人は無実だが、誰がそうなのかは分からない。あなたが裁判官ならどうするか」。答えは、「9人の犯人を野に放つ結果になっても、1人の無実の人を守らなければならない」。ただ、もしこれが100人中ウ人、さらには1000人中999人が犯人だとしたら?それも盗みや詐欺などの犯人だけでなく、連続殺人鬼だったら?自分や家族が被害者だったら?それでも無実の1人を救う、と言い切れる人は少ないのではないか。逆に無実の1人が、自分の家族だったらどうする?答えは簡単に出せそうにない。◆極度の緊張と一瞬の判断を迫られるという危うい状況下なのに、警察の特殊部隊員には自爆犯の疑いがあれば容疑者を射殺しても良いとの許可が出ていたという。警察当局は「人違い」が起きる可能性も当然認識していたはずで、社会を守るために万一の犠牲もやむを得ないと考えたと推測できる。 今回の事件は、「個人の尊重・人権保障」と「社会防衛」のせめぎ合いを説明した上記の例え話と重なって見えて仕方がない。◆イギリスの事件とはいえ、対岸の火事ではない。日本もテロの標的とされる以上、いずれ同様の状況が訪れる。そのとき、私たちはどう対処したらよいのだろうか。◆「適正手続」「疑わしきは罰せず」「無罪の推定」…。テロの恐怖という猛烈な風を受けて、人権保障のために築かれてきた諸原則までもが揺らいでいる。弾圧や虐殺が日々起きる世界の状況を考えれば、これらは平和な国の平和な時代にだけ許された「ぜいたく品」なのかもしれないが、その価値自体は普遍的だ。恐怖にあおられるあまり、簡単に捨ててはならない。一人の男性の死から、考えさせられることは多い。