2005/04/01UP
惜別の時
突然ではありますが、先日、仙台本社勤務の内示を受け、3月いっぱいで角田支局での勤務に終止符が打たれることになりました。 赴任して丸4年。在職年に比例して、任務地を離れる寂しさが募ります。この間、たくさんの方々に支えられて何とか責務を果たすことができました。ご苦労、ご迷惑をおかけした皆さんに十分なご挨拶もできないまま離任することになりますが、この紙面を借りて心から感謝とお詫びを申し上げます。支社、本社は経験しても、私にとっては角田が初めての支局生活。たくさんの読者の方々の存在を強く感じ、無言の声援を受けての取材活動でした。◇引越しを控えた今、10数年前に入社したての私を指導してくれた先輩記者の言葉が蘇ります。「多くの人を喰らって記者として育て」。上品な表現ではありませんが、支局生活を通し、様々な先達に面会を繰り返すことは、記者としてだけでなく、私の人生にとっても大きな栄養素となって蓄積されています。作物づくりにかける農家の情熱、商店街活性へのあくなき努力、街づくりに捧げる奉仕の情熱。一人ひとりの生き様が、何物にも代えがたい貴重な財産になっています。◇そんな日々の取材はまた、「地域コミュニティーに貢献したい」という私の新聞記者志望の動機をも確認する作業につながりました。冷徹、公平な地域のリポーターであるのはもちろん、全国紙ではない地方紙記者としての視座をいかに保つか。そんな自分の原点、新聞記者としての立脚点も再確認する毎日でした。膨大なスクラップ記事を読み返すたびに、この地域を表現し、周囲にアピールできる喜びをかみしめました。◇入社以来、記事を書く「ペン記者」として、県庁、市政、県警、裁判所などを担当してきました。今回、本社では一度ペンを置き、レイアウトや見出しを考える 「整理部」への配属となります。直接記事こそ書けないものの、素材としての記事、写真を読者に届ける重要なセクションになっています。記者生活しか知らない私にとっては未知の領域になりますが、読者と取材現場をつなぐため、日々の紙面向上に微力ながら協力していくつもりです。後任には私の4年後輩がお邪魔する予定です。不肖の先輩以上に活躍してくれるものと確信しながら、今後、この伊具の里、阿武隈川流域のますますの発展と躍動する市民生活を、紙面を通して見届けたいと思っています。
角田市民、読者のみなさま、4年間、本当にありがとうございました。