2004/01/01UP


区切りの日に

 2004年元日。河北新報読者の皆様、あけましておめでとうございます。
 毎年、年末年始は反省と悔悟から始まることが多い。今年も例外ではない。「来年こそはこれをしよう」「今後はあれを果たそう」。そんな念頭の祈願をあっけなく裏切る年が続いている。といっても、自らの生活を総括し、再構築する気構えを持たせてくれるのも新年ならでは。「年」の区切りがなかったら、もっと漫然とした日々が続くのだろう。せっかくの仕切直しの機会として、新年の誓いをじっくり考えてみたいものだ。◆昨年末、取材で2つの講演を連続して聞く機会があった。1つは進学、もう1つはスポーツ体験。異なる分野のテーマで、共通したメッセージが心に残った。「目標の堅持」そして「実現に向けた努力」。含蓄と説得力に富んだ話術のおかげもあったにせよ、当たり前の単語が妙に新鮮に聞こえた。振り返れば、大学進学や就職まで、常に明確な目標が眼前にはあった。いつごろからだろう。「目標」や「努力」という言葉は道徳的なスローガンではあっても、自分の中で現実的な意味合いを無くしてしまったようだ。「社会面を飾るスクープを書きたい」「説得力のある企画記事を仕上げたい」といった願望はある。でも、どちらかといえばそれは標榜する到達点というよりも、職務上の責任に近い。人間性を追求する「人生の目標」とはちょっと違うような気がする。◆自分にできること、できないことを峻別できるのも成長の証には違いない。でも、常識人ぶった諦観が先には来ていないだろうか。そんな反省もしてみる。もうちょっと頑張ればできることがそこここに転がっていないとも限らない。年頭という区切りの日に当たり、今、ちょっと腰を据えて「目標」というものを見つめ直してみようか、そんな思いに駆られている。そこに「努力」への新たな道筋が見えるかもしれない。