2024/8/1UP


必要な無駄

 隣町の大河原町で町議が議会中にスマートフォンゲームに興じていたことが話題になっています。社会科見学で傍聴していた小学生が見ていたとのこと。同じ大人として恥ずかしいニュースでした。 呆れてしまうのは子どもたちが見学に来ていたさなかでの行為という点。緊張感のなさが悲しいほどに伝わってきます。「普段からやっていたのだろう」と指摘されても言い逃れはできないでしょう。「電卓アプリを使った際、無意識にゲームも開いたかもしれない」との言い訳が悲しく響きます。 決して擁護するつもりはありませんが、くだんの議員よろしくスマホで調べ物をしていたのに関係ないネットニュースを読んでいた、ということはままあります。「また無駄な時間を過ごしてしまった…」と自己嫌悪になってしまいます。 スマホはその利便性と携帯性において現代社会に不可欠なツールとなっています。電話やメールだけでなく、ニュース取得や地図検索、料金の支払いなどで利用する私自身もスマホなしの生活は考えにくくなっています。 フェイスブック、インスタグラム、X(旧ツイッター)などのSNSを開けば、24時間365日、新しい情報が更新され続けます。一説によると、現代人が1日で受け取る情報量は平安時代の一生分と言われており、必要か否かを判別することがないまま情報を受け入れている状態と言えます。 では、スマホで過ごす時間が無駄なのかと言えば、必ずしもそうではないと思います。議会中のゲームはともかく、新たな知識を得ることは少なくないためです。のめり込みすぎには注意したいところですが。 無駄の魅力は日々の生活にこそ潜んでいると感じます。とりわけ記者の仕事の場合、決まり切った動きをしているだけでは魅力的なニュースにはなかなか遭遇しません。 「記事になるか微妙だけれども行ってみるか」「時間があるからあそこに寄ってみるか」「あまり気乗りしないけど飲み会に行くか」合理的に考えれば、いずれも不必要な行動かもしれません。ですが、いざ行ってみると想像以上に実りある結果になることも少なくなく、「無駄」にこそ面白みや偶発性の発見・出会いがあると言えるかも知れません。タイパ(タイムパフォーマンス)やコスパ(コストパフォーマンス)が重視されがちな世の中ですが、無駄を楽しめる余裕は大切にしたいところですね。
第3回角田市阿武隈急行利用促進協議会