2022/7/1UP


佐倉?桜?

 初めての土地での仕事では、地名覚えて土地勘を養うことが重要なことの一つにあげられます。とはいえ地図を眺めて覚える訳でもなく、取材で回っていくなかで自然と覚えていきます。ただ、近年感じるのは、スマートフォンの案内で移動すると、一度で道のりを覚えられないこと。気をつけたいですね。  さて、角田に来て気になった地名があります。「佐倉」です。住所では佐倉ですが、郵便局や小学校などは「桜」。せっかくなら地名も「桜」でもいいのでは?などと思い、弊紙のデータベースで由来を調べてみました。  ヒットしたのは2006年8月の紙面に載った「とうほく地名の泉」。記事によると「江戸時代の「安永風土記」には、1330年代の建武年間のころ、吉野五郎という人が住んでいた。吉野は桜の名所であることから村名を『桜』と言ったが、いつのころからか佐倉になったとある」と書いています。そして「サクラのサは接頭語で、クラはクレあるいはクエの転訛(てんか)で崩れること。古くは、阿武隈川の氾濫や浸食がたびたびあったのだろう」と続けています。  なるほど、当初は桜だったようです。もう少し調べてみようと、先日、図書館で桜小学校の創立100年記念誌「さくら」を借りてきました。 要約となりますが「13代成務天皇が勢力を地方の末端まで及ぶように征定の地を144の国に分けた。現在の仙南地方一帯を『以久(または伊久)の国』と呼び、国府の所在地として比較的土地の高燥なこの『佐久良』が選ばれたという」と書かれています。  吉野五郎が桜と名付けるはるか昔から、この地域に「さくら」という地名が存在しているようです。由来探しは振り出しに戻ってしまった―、と考えていると、記念誌には以下の考察が書かれていました。以下原文ママ。  「大和朝廷の時代、大和文化を持つ民がこの地にやって来た際、おそらく福島の方から阿武隈の水路を利用して来たにちがいない。『サクラ』の『サ』はそのときの川を下ってきて『左』の『サ』、『クラ』は人の住むによい高い所合わせて『サクラ』と呼んだのではなかろうか」  「やがて文字で『佐久良』と書かれるようになったが、やがて近郷の桜の名所として知られるようになったこの地は、吉野城や吉野五郎の名のもとになった奈良の吉野も桜の名所であることから、同音の“桜”の文字で書かれるようになりさらに『佐倉』の文字が使われるようになった。『佐倉』の文字になったのは、江戸前期の下総国佐倉領の義民佐倉宗五郎の話が歌舞伎劇で有名になってから後のことであろうと思われる」 ストンっとふに落ちました。たった一つの地名でも、歴史的背景を知ると、次に訪問する際の感じ方も変わる気がします。 では、そもそも「角田」の由来は。こちらは記念誌と一緒に借りた角田史談会の「身の周りの歴史 第九号」に考察がありました。内容は…少し長くなりますので、今回はここで失礼させていただきます。ご興味のある方は、今月から全面再開した角田市図書館にぜひ足を運んで下さい。


佐倉地区にある吉野城跡の石碑

かつて佐久良神社と呼ばれていた諏訪神社