2018/10/1UP


市制60年に思う㊤

 角田市が10月1日で市制60年を迎えます。還暦のタイムスパンは、人生100年時代の今は晩年の入り口にさえ立っていないかも知れません。行政制度でなく、角田のまちの歴史で見れば、400年のうちの60年程度です。ただ、既に若者ではなく、壮年も過ぎこし、成熟期に入っていることは間違ありません。すると、いかに成熟するか、その仕方が問題です。  亡くなった女優の樹木希林さんがインタビューで、「体は言うことを聞かなくなるが、心は盛んになってくる」と言っていたのを聞き、「成熟とはこういうことか」と感じ入りました。子どものころ、江戸幕府の「老中」「若年寄」という役職名に「どんなじいさんがやっているのか?」と思いましたが、昔の長老や隠居は結構な政治力と発言権を持っていました。年を重ねた経験と智恵が尊重されたのです。ただ、ある種の選択と集中ができなかった人は、言動に芯が欠けて、軽んじられる存在になってしまうと思います。市も成熟の在り方が問われますが、少し心許ない気がしています。  角田は長年、農業のまちとしてブランドを確立してきました。市農業振興公社、コメ栽培の減農薬の取り組み、みやぎ生協との産直など、農業を巡る営みが活発でした。実際、かつて角田の農の魅力に引かれた首都圏からの移住者もいて、地方創生を先取りしていた時代があったわけです。約半世紀前に工場誘致をキーにした田園都市構想も、農家が出稼ぎや、二男三男が金の卵として東京に流出しっ放しにならないように、地元に雇用の受け皿を作り、農家の所得向上につなげることが根本にありました。農業を基軸に展開された政策は、個々には問題もあったでしょうが、地に足着いたものだったと言えます。  その点、来年4月開業の道の駅の方向性が今ひとつあいまいに感じます。農業振興か、スポーツ交流人口か、収益施設なのか。出荷者の中心になる中小農家の後継者不足はどうするのか。6次産業化も目玉になる新商品はまだ見当たりません。他直売所との関係も議論はなし。市はすべての要素を求める切り札と位置付けますが、総花性はこれからの時代、あまりプラスとは思いません。道の駅は象徴的であって、今必要なのは持てるパワーと資源をどう振り分け、集中投資するかではないか?管理運営会社が8月、市と団体、企業の出資で設立されました。ただ、幅広い市民の積極的な関心が集まっているというより、どこか他人事の空気を感じます。将来、市民株主の募集があるのでしょうが、ビジョンをあらためて深掘りする機会があってよいと思います。


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