2018/5/1UP


ヤマトタケルのこと

 4月6日に、市内島田地区にある熱日高彦神社の春季例大祭の取材に行きました。地域の青年会組織のメンバーを中心に、角田支援学校の教職員のみなさんが途中で担ぎ手に参加。子どもみこしや、はぐくみ学園のみこしも一緒に繰り出しました。熱日高彦神社のみこし渡御はご存じ、隣の尾山地区の香取神社のみこしとそろって巡行します。午後から香取神社のみこしが山中の参道を上って熱日高彦神社境内で合流し、大森山中の水源まで行くのについていきました。言い伝えでは、熱日高彦神社が男神、香取神社が女神とされます。昔は前夜に香取神社のみこしが熱日高彦神社の社殿でおやすみしたとのことで、縁結びの神様のイメージをいっそう膨らませてくれます。  取材をしながら、途中で多少みこし担ぎに加わらせて頂きました。ただ、背が低いので、みこしの棒まで肩が届かず浮いてしまいました。そのため、重さがずしんと伝わらず、肉体的には負担が軽くてすみました。子どもの頃から身長順では大概一番で、ちびがコンプレックスだった時期もありますが、背が低くて得(?)することもあるかと思った次第です。  熱日高彦神社をめぐって関心があるのが、祭神のヤマトタケルです。ヤマトタケルが東征に来て、伊具一帯を平定してまつったのが熱日高彦神社とされます。日高は蝦夷にまつわる言葉です。大和政権が聖地に神社を建て、征服した部族の地母神を合祀することは通例で、大森山は蝦夷の自然信仰の場だったのではないか。  ヤマトタケルは死んで白鳥になったとされますが、ヤマトタケル伝説で有名なのが蔵王の刈田嶺神社です。村田町にも白鳥神社があります。熱日高彦神社は白鳥とつながりが直接あるわけではないようですが、県南の白鳥信仰は何か関連性があるのではないか?と思いが巡ります。民俗学者谷川健一は「神・人間・動物」で、刈田嶺や柴田の白石川沿いで厚かった白鳥信仰について記しています。谷川が描いたのが、北から飛来する白鳥に思いを重ねる北の人間の心性です。冬の使者・白鳥と、悲劇のヒーロー。判官贔屓の源義経も衣川を逃れて北方から蒙古へ渡った伝説も生まれました。北紀行はロマンの泉と感じます。今年は、さまざまなことを手がかりに伊具の古層について考えるのを一つの楽しみにしたいと思います。


熱日高彦神社の春季例大祭