2018/3/1UP


前角田市長 佐藤清吉さんを悼む

 前角田市長佐藤清吉さんが1月23日、満88歳で死去されました。県議4期、市長3期を通じ、佐藤さんには、弊社歴代支局が取材等でひとかたならずお世話になりました。支局の一員、また一市民として、佐藤さんに哀悼の意を捧げます。  旧家の農家出身で岩手大農科卒、アメリカの大規模酪農経営を視察した経験などから、農業振興への情熱と見識の深い方でした。早い時期から基盤整備に取り組み、角田の農業をブランド化し、全国に発信する礎を築きました。農地集積や担い手育成、農業の将来像を展望するシンクタンク機能も目指した市農業振興公社の設立は、農政に明るかった佐藤さんの象徴的な事業と言えます。  市長として市民生活全般に目を配りました。夜間急患診療体制整備やウエルパーク建設、柴田町、大河原町、村田町と取り組んだ、みやぎ県南中核病院の建設など医療保健福祉を充実させました。小学校での英語特区のユニークな取り組み、デマンド型乗り合いタクシーや阿武隈急行角田駅コミュニティープラザ整備といった地域交通の確保、地方分権時代に即した市民協働のまちづくりなど、幅広い分野で実績を残されました。角田の21世紀を拓いた牽引役だったことは間違いありません。  佐藤さんの政治家としての前半生は、衆院が中選挙区制で、保守系内部で激しい争いがあった時代です。県南の3区は三塚博氏と愛知揆一氏それぞれの系列に分かれる「三愛戦争」の地域で、佐藤さんも愛知系の有力政治家に名を連ねていました。互いに刺激し合うライバルの存在が、弊害、活力のいずれにせよ、エネルギーの源泉となっていました。人との交渉力やあうんの呼吸といった、懐の深い戦後保守の時代です。佐藤さんの温厚で親しみやすい人柄は、そうした時代の空気と土壌に養われた面もあるでしょう。古き良き保守を思わせる人でした。  先輩記者の言葉で印象的なのが、「保守とは守るべきものを持っている者」ということです。まず身の回りの家族、次いで友人仲間や近所、そして地域や国、国際社会といった公共空間。人間にとって、守るべきものは同心円状に広がるものでしょう。  椿を愛した佐藤さんの自宅には、日本に自生するほぼ全種が植えられているそうです。アメリカ留学から高価なカメラを持ち帰ったり、大型バイクに乗ったり。 角田でジーパンをはいたのも初めてで、新品が家に残されていたそうです。詠んだ短歌は10万首とも。市議会の議場で歌を作っていた逸話もあります。  ご遺族に、佐藤さんの辞世の句を教えて頂きました。  『大空を茜に染めて夕陽(ゆうつひ)は今しいりゆく蔵王の嶺に』  蔵王の眺めが美しい角田の地を守るべく、汗を流した先人の1人らしい歌だと思いました。


前角田市長 佐藤清吉さん