2017/11/1UP


戦争と暮らし展 ㊦

 前回に続き角田市郷土資料館の戦争と暮らし展の解説です。お披露目された従軍カメラマン佐藤一郎さんの写真を取り上げます。ほとんどの写真が、日時や場所の記録がはっきりしないのが残念ですが、公的な写真は軍所有で、個人の手元には公的記録から漏れた物が残った事情を反映しているでしょう。満州事変に当たった仙台の旧陸軍第二師団の陣中日誌を取材したことがありますが、公的記録の陣中日誌は敗戦時に処分が命じられ、日誌が残されているのは珍しいとのことでした。それと同様、軍の写真が個人所蔵で残り、地元で身近に見学できるのは貴重な機会と思います。  写真は第十三師団の記録とされます。第十三師団は日露戦争時に編成され、いったん軍縮で解団されましたが、日中戦争で再び編成されました。南京にも進軍し、南京事件にも関与したとされます。展示物のうち、記録がはっきりしているのが湖北省・宜昌への入城。蒋介石の中国国民党政府は日本との戦いの中で、南京から重慶に逃れましたが、蒋介石に圧力を加え和平工作を結ばせるため、宜昌作戦が行われました。その宜昌を陥落させたときの写真です。日本軍は宜昌占領して一度放棄した際食糧を投棄しました。宜昌を再び占領することになって困窮します。日本軍は三光作戦と言われる略奪的な現地調達を行うようになりますが、宜昌での行動は先駆け的な一端と言えそうです。兵站をろくに考えなかった日本軍の戦略、定見のなさが伺えます。  美しい着物の女性たちの写真は宮城県からの慰問団です。慰問団のことは聞いたことがありましたが、写真を見るのは初めてでで、兵営の日常が想像されます。中国人が小旗を振る姿は、個人的には「五族共和」について考えました。日本は清のラストエンペラー溥儀を皇帝にまつり、満州国を建国しました。その主要スローガンが五族共和でしたが、実態は日本による支配でした。明治時代の「脱亜入欧」から戦争時の「大東亜解放」へ、亜細亜のとらえ方は大きく転換します。司馬遼太郎などが指摘した、近代日本は日露戦争勝利を境に転落していった歴史を感じます。


宜昌入城

旗を振る中国人たち

宮城県慰問団