2017/10/1UP
戦争と暮らし展 ㊤
角田市郷土資料館で「昭和の戦争と暮らし展」が開かれています。戦争関係の展示は初めてで、戦後72年たって戦争体験世代が少なくなり、記憶が薄れゆく中、貴重なチャンスです。自分自身、最近まで戦争関係の取材をしっかり手掛けてこなかった反省もあり、今回は展示の特徴を紹介したいと思います。
西根の元兵士で、日中戦争に従軍して戦死した菊地慶蔵氏の遺品が紹介されています。戦地から妻に宛てた手紙が残っており、斗蔵山のお守りが届いたこと、子どもの夢を見て喜んだこと等、兵士の面影がしのばれます。その夢に出てきた長男祥一さんは取材に、「父が『思い出してくれてありがとう』と言っていると思う」と話しました。祥一さんは当時5歳になる直前、肩車などをしてもらったことはなく、うっすらとしか記憶がないそうです。ただ、白石と相馬・中村を結ぶバス亭に、出征する父の見送りに連れられていった感覚があるといいます。母の話によると、優しく周りに信頼される人間で、農作業に出て二人で食べる昼の弁当がとても美味しかったとのことでした。出征前に書いた最後の日記には、高蔵寺に墓参りしたことや、「盛大に宴会をして何より気分よく出征することが出来ましょう」と記されています。本音をはばかるような時代で、本心は分かりませんが、一人一人に顔があった兵士の日常が浮かぶようです。
菊地さんが召集された第二師団仙台歩兵第四連隊は、陸軍内でも精強の誉れ高い部隊でした。日中が本格的に戦争に突入する契機になった満州事変の直前に満州に派遣されました。事変は謀略で、第二師団派遣は事変を想定したものと推測されます。そして、事変の最初の犠牲者は宮城県人でした。太平洋戦争中はガタルカナルにも転戦しました。戦地の先頭に立たされ多大な犠牲を出したのが東北人、宮城県人だったことを忘れてはいけないと思います。
戦死した父の手紙を読む菊地さん
菊地さんに贈られた勲章
戦死者の名簿が載った号外