2017/7/1UP


バベルの塔

 東京・上野の東京都美術館で公開されている、ネーデルランド絵画の巨匠ピーテル・ブリューゲルの「バベルの塔」を見てくる機会がありました。天に届かせようというバベルの塔の建設計画は、神をも恐れぬ傲慢な人間たちを神が罰する物語と解釈されています。ただ、解説によると、ブリューゲルの絵は、傲慢の象徴か、あるいは遠大な目標に向かって人々が協力しながら挑戦する姿なのか、両義的に考えられているとのことでした。 公開中の絵はオランダ・ボイマンス美術館の所蔵で、ブリューゲル最晩年の作品です。ブリューゲルはそれ以前にもバベルの塔を描いており、そちらはウィーン美術史美術館に所蔵されています。ウィーンの方は、バベルの塔建設を命じた王様の姿が描き込まれているそうですが、ボイマンスの方からは消えています。誰かに命令されたということではなく、人々の自主的なプロジェクトを意味するのでしょうか?謎は解明されないままですが、自分なりに絵解きをしてみるのは楽しい営みです。 神は「人類が同じ一つの言葉を話していたから、一致してバベルの塔のようなものを作ろうと考えた」として、言葉をばらばらにしました。バベルの時代の同一言語への憧れは、実はヨーロッパの通奏低音というべき基調です。大小の国々に分かれた欧州大陸は、2度の大戦の現代だけでなく、古代、中世からずっと戦乱に明け暮れたと言えるでしょう。その歴史を踏まえると、共通通貨ユーロなどは、バベルの時代の同一言語と根っこは同じ発想と思えます。ヨーロッパの一体性の願いということです。人間の友愛を歌うベートーベンの第九交響曲がEUの歌であることも、最たる例です。 ひるがえって、「角田が一体になれるベースは何なのか?」というのが、しばしば湧き起こる疑問です。大くくりに考えると、市内は西側の山地、中央の平場、阿武隈川の隈東の3つに分けられると思いますが、それぞれ個性的な地域で、ちょっと自分の中では、角田の求心力と一体性がどこにあるのか図りかねているのが現状です。宇宙や農業など、核になるテーマは十分にあると思います。ただ、再脚光を浴びるようになった宇宙も、今まで日常生活ベースで市民に密着したものだったかどうかは疑問です。仮に宇宙であれば、ようやく始まった宇宙教育などの取り組みを息長く続け、子どもたちの知性を育むことに最高度の意を用いるべきでしょう。それが、角田のバベルのロケットになるかもしれません。


うめ~梅まつり