2017/6/1UP


アジアとの草の根の交流

 中国の内モンゴル自治区出身で、故郷に学校をつくる活動を続けてきた歌手ボルジギン・イリナさんが、民族音楽と舞踊を学ぶ内モンゴルの子どもたちを連れて角田小を訪問し、児童と交流を深めました。イリナさんは学校建設の活動を14年前に始めましたが、そのスタートは角田でした。東日本大震災の被災で解体を余儀なくされましたが、天神小劇場でチャリティーコンサートを行ったのが出発点です。私自身はそのころ仙台で、イリナさんの活動を取材したことがありました。14年の間に学校が2校建設されました。今も変わらないイリナさんや、活動を支えてきた角田の人々を、今度はこうして角田で取材に携わっているのは、巡り合わせを感じて大変感慨深いものがあります。  振り返ってみると、草の根の国際交流というテーマが20~30年前の当時、トレンドとしてあったと思います。特に、「近くて遠いアジア」との交流が積極的に模索されました。中国は今ほど経済成長を遂げておらず、経済交流の必要性も手伝って両国に友好的な空気がありました。韓国は「漢江の奇跡」と言われた成長を達成して社会にゆとりがあったためか、日韓関係が雪解け、文化開放の流れが進みました。タイも政情が安定していました。イリナさんを支援してきた角田市民も、イリナさん個人というより、アジアとの交流という大きなテーマの中で見ていたと思います。  市内では他にも、かつて単協だった当時の角田市農協の青年部関係者を中心とする農業者が、アジアとの交流を行っていました。その活動は、東工大の留学生が冬に角田に来て、ホームステイしながら農業体験を行う交流事業という形に残っています。稲作地帯の文化を基底に置いた取り組みは、田園都市・角田ならではの発想として再認識されてしかるべきでしょう。  角田の国際交流は民間からの盛り上げに支えられていました。今、そのパワーがやや落ちているように感じられるのは残念ですが、交流人口の拡大や、訪日外国人旅行者(インバウンド)の誘致のようなテーマは、本来、民間の自主的な活動の上に機運が醸成されることが望ましいわけです。交流人口の拡大がよく言われますが、中身や在り方について、しっかり考えるべき時期ではないでしょうか。


小田川沿いの鯉のぼり