2013/3/1UP
数え切れぬ思い出を胸に
「河北新報」そして「あんふぃに」をご愛読の皆様、この欄で私がお話させていただくのは今回が最後になってしまいました。先日、仙台本社への異動が内示され、4月1日付で角田支局を離れることになりました。まだこれから1カ月間お世話になりますし、1人でも多くの方のもとへ直接御礼にうかがうつもりですが、まずはこの場を借りて、多大なるご支援をいただいたことに心から感謝申し上げます◆この地を去る日が近づきつつある今、目を閉じて4年間をあらためて振り返っているところです。拙文を走らせ、写真に収めた四季折々の風景、出会った人たちの生き生きとした表情や笑い声。それらに思いを巡らせると、内から沸々とわき出る感情を抑えられません。着任したばかりの2009年4月。佐渡から伊具の里に舞い降りたトキが、見る人の気持ちを和ませました。衰えを見せないまま数日にわたって燃え続けた山林火災に、市民は不安を募らせました。「角田って聞いていた以上に忙しいなぁ」。右も左も分からず取材に奔走しながら、そう思いました。支局生活に慣れるにつれて、人々の暮らし、生業を見つめる余裕が生まれました。酒席でまちづくりに対する思いを熱っぽく議論したことも良い思い出です◆そして迎えた3・11。「災後」を生きる私たちにとって、東日本大震災の発生前がとてつもなく遠い過去に感じられます。角田に来た当時を「昨日のように」回顧することは、正直できません。特に福島第1原発事故は、角田・丸森地域を取り巻く状況を一変させました。それでも月日が震災によって分断されることはないと信じています。リレーのバトンのように歴史や教訓、人々の思いを次代につなぐ。未曽有の大災害を経験し、災前と災後の角田を知る自分だからこそ書ける記事があるのではないかと、今なお模索しています◆津波被災地の亘理郡の取材を手厚くしなければならず、内陸部の皆様にご迷惑をおかけした時期もありました。丸3年が経過した昨春の時点で異動する可能性もゼロではなかったのですが、「このままでは帰れない」という後ろめたさがあり、引き続き支局勤務を希望しました。この1年でどのくらい地域のことを表現できたか自信はありません。しかし、一歩先の未来へ向かおうとする、マグマのように熱いけれど、どこか控えめな角田市民のエネルギーを実感したのも確かです。後任には、安心して全てを託せる同期入社の記者がやって来ます。私の何倍も活躍してくれるはずです。これまで同様、温かく見守ってくださるようお願い申し上げます。いったんお別れになりますが、仕事面でもプライベートでも、何らかの形で今後も角田に関わり続けることをお約束します。4年間お付き合いいただき、本当にありがとうごさいました。またお会いしましょう。