2012/7/1UP


記者の喜び

 「今朝の新聞見ましたよ。大きく取り上げていただきありがとうございました」「あの写真の前の方に写っているのが私の孫です」。支局に勤務していると、本社以上に記事に対する反応に接することができて面白い。自分が企画、参加したイベントが注目されたり、名前や写真、コメントが紹介されたりする。事件事故、不祥事といった悪いことで取り上げられる場合は除くとして、新聞に載ってうれしいという気持ちになるのは、ごく自然なことなのかもしれない。喜んでくれる読者がいるなら、また次も頑張ろう。反響があると私自身、意欲がわいてくるし、仕事に打ち込む推進力になっている◆では単純に書き手としてはどうだろう。当たり前だが、取材と執筆は日常業務。毎日それが繰り返される中、記事を書いて掲載される喜びを持ち続けることができているか。結論から言うと正直、ちょっと怪しい。載って当然という思いが、心の奥に芽生えてしまっている。「駐屯地の桜咲いた」。十数年前に新人記者だった私が初めて書いた、わずか25行前後の記事だ。何度も何度も上司に怒られながら取材先に内容を確認し、原形をとどめないほどに一字一句を直され、原稿は完成した。ドキドキしながら後日、あまり目立つとはいえない小さな記事が載っている夕刊のページを開き、うれしさと照れくささが入り交じった感情を抱いたことを今も鮮明に記憶している。記者になったという実感を得られた瞬間だった◆あのころより多少は筆力が向上し、書くスピードも速くなった。物事の見方、切り口の幅も広がった。ある意味、要領よく仕事するようになり、原稿「処理」能力は確実に上がった。技術や効率性を手に入れた一方で、自分の文章が世に出ることを新鮮に感じる心がさび付いてしまったようだ。そう考えると、今の自分が新人時代と比べ、記者として成長、進歩したとは必ずしもいえないのではないか。大いに反省しなければならない◆鈍感になってしまった自分に刺激を与えてくれるのも、やはり読者や取材先の人たちだ。読者、地域住民の喜びを記者自身の喜びに変換しているからこそ、やりがいのある、充実した記者生活を送れるのだろう。こんなことができるのも支局ならでは。記者の存在理由を模索する時、角田の人たちの顔を思い浮かべると、ぱあっと目の前が開け、光が差してくる。