2011/11/1UP
被取材体験記
普段は取材する立場、話を聞く立場にいるはずの私が先日、逆に取材を受ける側に回るという珍しい体験をした。しかも相手は海外メディアの記者。日本人通訳を介しての取材だ。取材というと仰々しく感じてしまうけれど、実際は被災地の現状、課題などについて教えてほしいという打診だった◆ドイツで発行されている週刊新聞のオンライン版を担当する記者が亘理町に来ることになり、町内の知り合いを通じて話を聞けそうな人を探していたところ、私の名前が挙がったらしい。私は津波被災者でないし、行政機関ほど豊富なデータも持っていない。「もっと取材に適した人がいるのではないか」と思い、一度は依頼を断ろうと考えた。だがこの半年以上の間、自分なりに感じたことを述べるだけで世の中の役に立てるのならと、結局応じることにした。ただ、それでも東日本大震災を理解する上で、被災者の証言は欠かせない。取材は亘理町の仮設住宅内にある集会所で行い、住民にも何人か参加してもらった◆地図や写真を見せたり、身ぶり手ぶりを交えたりして、数時間にわたって話し込んだ。来日したドイツ人の若手記者も気さくな人で、うなずきながら真剣に聞いてくれた。とはいえ、被災地の様子や自分の思いをきちんと伝えられたか、まったく自信はない。3月11日以降があまりに濃密だったため、取材時間があっという間に過ぎてしまった。9月に夏休みをもらって、震災後初めて実家のある北海道に行ったのだが、あの日の出来事を両親に説明し尽くすことはできず、消化不良のような感覚になったことを思い出す◆取材に臨む上で、あふれ出そうな感情をきちんと整理できていなかった。その証拠に、一緒に取材を受けた仮設住宅の住民の話は実に分かりやすかった。津波で命を落としそうになった体験など、当時の記憶を一つ一つ正確にひもといて、言葉を選びながらドイツ人記者に語りかけていた。当事者ではない私の感想とは比べものにならないほどの説得力があったのは言うまでもないが、それ以上に、聞かれたことに対して誠実に答える姿勢に感動した。思いつくまま、とりとめなく話す私とは違っていた。これまで「貴重な証言、談話を引き出せるかは記者の能力次第」というおごりがあったと反省している。取材は誘導尋問ではない。話し手の厚意と協力がなければ、記者は何もできないのだ。そんな当たり前のことを確認した一日だった。