2011/12/1UP
先輩たちの背中
いったい私は何代目の支局員なのだろう。角田支局の歴史を振り返ったとき、それぞれの時代に個性豊かな記者がいた。お世辞にも快適とは言えない住環境に身を置きながら、角田・丸森の「いま」を伝え続けた。そして今日に至る。長い年月をかけて温められた情報、培われた人脈は、私にとって貴重な財産となっている◆では私の取材活動や市民としての暮らしぶりが、前任者と同じかといえば、そうではない。まず取材分野の得意、不得意がある。記者といっても人間同士の付き合いが前提となる以上、馬が合う、合わないもそれぞれ違う。赴任して最初のころは「角田に以前いた○○さん、元気かい?」などと尋ねられることが多く、前任者の呪縛に悩まされた。正直なところ、先輩たちが残した足跡を消してしまいたいと思ったこともあった。それでも、この人脈がなければ自由に取材することすらままならない。歴代の記者たちは、数え切れないほどの人たちと良い関係を伊具の里で築き、私までバトンをつないでくれたことを忘れてはならない◆皆さんが歴代支局員に今も温かい目を向けていただいているのと同様、先輩たちも事あるごとに角田を気に掛けてくれている。本社に戻った後、それぞれの立場で新聞作りに携わっているが、連載企画の取材で立ち寄ったり、デスクとして角田の記事に目を通したりと、この地を離れても角田に関わりながら仕事をしている。例えば、見出しやレイアウトを考える内勤部署に現在いる元支局記者。角田発の記事が彼の目に留まれば、私としては「派手な見出しを付け、少しでも大きく扱ってくれないかな」なんて期待してしまう◆先日、自動車産業のさらなる集積に向け、宮城県が名古屋で開いた企業セミナー。そのニュースを伝える11月11日付河北新報朝刊の経済面には、トップセールスに励む大友喜助市長の写真が掲載された。セミナーを取材したのは現在は経済担当の元角田支局員で、市職員時代の大友氏を知っている。角田をひいきして写真を選んだと、本人も認めていた。ちなみにそのころ、角田市にはデンソー系自動車部品会社の進出が決まった。契約調印式が行われたという記事が翌11月12日の経済面を飾ったのだが、先方の社長と大友市長が握手する写真はカットされてしまった。本社側が2日連続の写真掲載をためらったのか、私のアピール不足か、単に紙幅の都合かは分からない◆捨て石といえば大げさだが、先輩たちを見習って、離任後も陰ながら角田を応援できる存在でありたい。こんな風に書くと「もう転勤が決まったの?」と誤解されてしまいそうだ。いやいや、現役支局員としてまだまだ働かせてください。