2011/6/1UP
ごめんなさい
本紙朝刊のテレビ欄が5月13日、東日本大震災発生前の“定位置”だった末面に戻った。およそ2カ月ぶり。この日の復活を事前に知っていたけれども、新聞を手にした時は「おっ」と思わずにいられなかった。4月初めに1ページだけ設けられた宮城県版も同日から、2ページに増えた。震災発生2カ月半が過ぎた今も、1面に「特別態勢紙面」とうたわれている状況に変わりはないが、当たり前でなくなっていた“日常”が近づきつつあるのを感じた朝だった◆それでも以前のような紙面に戻るには、まだ時間がかかりそうだ。地域のイベントといった震災と関係の薄い記事は、なかなか掲載されにくい。いつも角田支局管内の情報提供に協力していただいている読者の皆さんに、今回ほど迷惑をかけたことはない。紙幅が限られているのに加え、暫定的に担当している亘理町に顔を出す日々で、本来の持ち場である角田市・丸森町をおろそかにしていることをお詫びする。「現時点でちょっと取り上げるのは難しいですね」。こんな冷たく、失礼な断り文句を口にすることが格段に増えた。足を運んだ先で「来てくれただけでありがたい」なんて声を掛けられると、本当に申し訳なく思う。震災以外にも伝えなければならないニュースはあるし、生きている人々がいるかぎり、住民の息吹はそこに存在する。地域の営みに光を当てたいという気持ちは常に持っているつもりだ。だから、もうしばらく待ってほしい◆震災に関しても、角田発のさまざまな支援を掲載しきれていないと反省している。亘理、山元といった沿岸に近い、隣の内陸部だからこそ実現した活動も目立つ。生活物資配布のボランティア、2次避難所と地元の住民同士の交流など、紙面で伝えることができたのはほんの一部に過ぎない。紹介できなかったが、たとえばこんな取り組みもあった。県南沿岸部に派遣された陸上自衛隊第10師団。角田市神次郎地区の住民20~30人が毎朝、船岡駐屯地(柴田町)から被災地に向かう車両を見送ろうと、看板を掲げて沿道に立ち、隊員たちを激励した。あらためて角田市民の行動力、心の温かさを知った気がした◆自粛ムードを振り払って角田から元気を発信しようと、復興支援につながるイベントを開催する動きも見え始めた。震災後、「自分たちに何ができるか」をしっかり考え、行動した角田市民。それが日常を取り戻す原動力になると信じたい。彼ら、彼女らが主役として再び紙面を飾る日が近い将来、必ずやって来る。その時にはまた手伝いをさせてほしい。