2010/5/1UP


新聞は新聞?

 職場のソファに腰を下ろして、長時間新聞を読む。一般的な企業や官公庁であれば油を売っていると上司から怒鳴られそうな光景も、新聞社においては大切な業務の一つ。当支局には毎朝5紙が届けられる。本紙は自社が総力を挙げて作っている商品であり、自分が書いた原稿がどう扱われているのかなどの品質チェックが欠かせない。一方の全国紙はライバル社の競合商品なので、自社が持ち合わせていない技術(特ダネ)を取り入れていないか、毎朝緊張しながら目を通している。同じ取材をしていても、掲載された記事を見比べると表現や雰囲気がかなり違っていて面白い。今後取材活動する上でのヒントがたくさん隠れている。文章を書くための特別な訓練をしているわけではないから、文章作法を学ぶ教科書にもなる◆若者の新聞離れが叫ばれて久しいことについては、今さら説明するまでもない。ニュースに触れるにはインターネットがあれば十分らしい。書けない漢字にぶつかっても辞書を使わず、携帯電話の変換機能で調べられる時代なのだ。だからといって新聞を読まない人たちに責任を押し付けても仕方がない。新聞に足りないものは何か、彼らを引き寄せるために知恵を絞ることを怠ってきたのは、教科書代わりに毎日使っているはずの我々なのだ◆そんな危機感と自省の念に駆られていたところ、3月に丸森町の斎理屋敷で一風変わった催しがあった。NIE(ニュースペーパー・イン・エデュケーション、教育に新聞を)活動の一環で開かれた「親子しんぶん寺子屋」に、町内に住む祖父母と孫、親子連れらが集まった。参加者はその日の朝刊から気になる記事を見つけて、喜怒哀楽を表現したり、感想をまとめたりする。さらに記事を発展させて親子で世間話をしてもらうワークショップ形式で行われた。講師いわく、コミュニケーション能力を高める訓練になるという。最初はぎこちなくやりとりしていた親子も、次第に目を輝かせながら会話を楽しんでいる様子がこちらにも伝わってきた◆記事が掲載されて取材先から感想をいただくことは多くても、記事と無関係の読者がどう思っているのかを知る機会はめったにない。だが読者の数としては後者の方が圧倒的に多いはず。そういった人たちに目を向けてこなかったことを反省している。まずは新聞が親しみやすい“親聞”に生まれ変わらなければ、いずれ読者に見捨てられるだろう。「自分の生活とは無関係の記事だけど、自分のことのように興味を持って読んだ」という人が増えてくれれば、新聞離れにも歯止めが掛かるような気がしている。家族で食卓を囲み、記事を話題に盛り上がる。そんな日が来ることを信じて、誰もが気持ちを共有できる身近な記事を一つでも多く提供していきたいと思っている。