2010/4/1UP


トリック

“ミステリの女王”アガサ・クリスティの名を一躍有名にした初期の長編小説「アクロイド殺し」をご存じだろうか。発表当時はその斬新なトリックについて「フェアかアンフェアか」で大論争になったり、クリスティ自身が失踪事件を起こしたりと影響を及ぼし、いろんな意味で彼女の人気を決定付けた作品だ。探偵エルキュール・ポアロシリーズの中では「ABC殺人事件」と並ぶ傑作だと個人的には思っている。【(注)以下で物語の核心部分に触れています。いわゆる“ネタバレ”なので、これから本作を読もうと思っている人は読まないでください】◆「アクロイド―」には、過去の作品でポアロの助手を務めていた語り部が登場しない。手記という形式をとり、殺人事件の捜査過程でポワロと行動をともにするシェパードという医師が記録している。結論から言えば、記録者シェパード=犯人という叙述トリックが本作に用いられている。「事件について正確に記述されている」という保証、要するに推理小説には客観性が担保されていなければならないというのが、本作品をアンフェアと指弾する人たちの主張である。読者は無意識のうちに、語り部を犯人候補からはずして読んでいるに違いない。だが記録者が犯人であってはいけないというミステリのルールはどこにも存在せず、勝手にそう思い込んだ読者が悪いのだと、クリスティはほくそ笑んだことだろう。犯行の核心部分については上手に伏せているものの、嘘はまったく書いていなかったのだから◆話を新聞に置き換えるとどうか。署名記事を除けば、一般の記事はどんな顔をした記者が書いているかさえ分からない。信用するに足りる人物か。嘘を書かない男か。いや、そもそも男性記者とは限らないのだ。「マスコミは本当のことを伝えない」という批判があるのは、そういう不信感が根底にあるのかもしれない。だから河北新報本紙を信頼し、長年読んでくれている方々には本当に感謝している。一般記事で主観を表現するのは難しいが、私には幸い、本欄で月に1度、皆さんに自分を知っていただくチャンスがある。ここで取り上げる題材は、取材で感じた事にとどまらず、時には私生活にも及ぶ。顔を思い浮かべることはできなくても、記者の息遣いを少しは分かってもらえるのではないだろうか。そのうえで本紙の角田・丸森の記事に目を通していただけると大変うれしい◆「アクロイド―」の終盤で、執筆途中の手記を読み、シェパード医師に感想を求められたポアロはこう指摘する。「事実を忠実に、ありのままに記述している。ただしあなた(記述者、犯人)自身が果たした役割については、適度な沈黙を守っていらっしゃる」(羽田詩津子訳、早川書房『アクロイド殺し』)。角田に来て季節がひと回りし、本欄を担当するのは今回が13回目になった。トリックを仕掛けるつもりはまったくない。でも自分をさらけ出す文章って難しい。