2009/9/1UP


農を知る

 梅雨明け宣言を見送ったまま、東北の夏が過ぎ去ろうとしている。低温、ぐずついた空模様が多かったとはいえ、 夏休みを終えた子どもたちはカバンにたくさんの思い出を詰め込んで、久しぶりに校舎の門をくぐったに違いない ◆東北よりもさらに夏が短い北海道の実家に住んでいた小学生のころ、夏休み中に家族で海水浴やキャンプに出掛けた 覚えがまったくない。実家は野菜農家で7、8月といえば収穫の最盛期。子どもに構っている余裕などあるはずもなく、 早朝のラジオ体操から帰ってくるころには、いつも家族総出でキュウリのもぎ取りを済ませていた。学校の宿題は カボチャを入れる段ボールを机にして片付けた。絵日記を完成させるには、畑を描く茶色の絵の具があれば十分だった。 遠出する友人たちの予定を聞くたび、親を恨んだものだ◆当時は「どうしてうちだけ日曜日と夏休みがないのか」と、 サラリーマン家庭を本気で羨ましく思っていた。おそらく非日常的な、友人に自慢できるような思い出を作りたかったのだろう。 今になって考えてみると、土のにおいを吸い込んで畑を駆け回り、炎天下でスイカを頬張るなんて、お金を払ってもなかなか できない貴重な経験なのに。親が汗水流して働く姿を間近で見ることだって、自営業でもなければ難しい。親が直接口にした ことはないが、収穫する喜び、日本の家庭の食卓を支えているという自負を、子どもだった自分に伝えたかったのかもしれない ◆夏休みに限らず角田市や丸森町では、親子参加型の農業体験が盛んに行われている。農家に生まれた子どもなら当たり前に できる経験であっても、普通の子どもたちにとっては貴重な機会だったに違いない。大勢の親子連れが目を輝かせて食料生産の 現場に触れる様子を取材しながら、日本の農業に少しでも関心を持ってもらえればと願っている◆今回の衆院選では、農政が 大きな対立軸の一つになっている。生産調整の在り方をはじめ、民主党が掲げる戸別所得補償制度、FTA締結など、農家を めぐる状況は大きな転換点を迎えそうだ。だが各党のマニフェストや訴えを見比べると、バラマキかどうかは別にしても、 農業政策が政争の道具として利用されているようにしか映らない。米価下落や所得減少に苦しむ農家の叫びは、どれだけ 候補者たちに届いているのだろうか。「本質的な議論が置き去りにされている。都市部の消費者にこそ、国の食料について 真剣に考えてもらいたい。このままでは誇りを失ってしまう」。あるコメ農家の言葉が忘れられない。