2009/8/1UP


脱・支局長宣言

 生まれてこのかた「長」と名の付くものに無縁だったはずなのに、角田に赴任してからは何かと「支局長」と呼ばれる機会が増えた。支局に届く郵便やファクスのあて名の半数以上がそれだ。電話で「支局長さんいらっしゃいますか」「いつまで待っても支局長は帰ってきませんよ。記者なら私1人ですが、用件は…」なんてやりとりも珍しくない。実際に話しかけられる時は、ほとんど「高田君、高田さん」なので助かっているが、中には取材に訪れただけで、来賓のように支局長として紹介されることさえある◆いつの間に出世したんだっけ?自分の名刺を恐る恐る見てみると、やっぱり「河北新報『記者』高田瑞輝」としか書かれていない。バカみたいに当たり前のことを確認して、ほっと胸をなで下ろすと同時に、記者であることが誇らしく思えた。皆さんもご存じの通り、当支局は1人体制の職場。電話や訪問者の応対、取材など通常の仕事だけでなく、地域で活動する事業所の顔として、各種行事に出席するといった管理職的業務もこなさなければならない。上司であるデスクたちとは普段、電話だけの付き合いなので本社への帰属意識も薄く、一国一城の主、あるいは自営業者的な錯覚に陥ることがままある◆事務アルバイトでも雇って、この際本当に支局長になってみようか?と冗談半分で思ってしまうが、弊社の職制上、支局長と呼ばれるのは主任級以上の記者だけ。私は正真正銘の「平社員記者」なのだ。日ごろの取材活動に対しての敬意が込められた呼称が支局長なのだと頭では理解しているし、光栄に思わないと言えば嘘になる。でもやはり30代前半の記者にとっては気恥ずかしいのだ◆一方の取材相手。市長、議長、会長、署長、支店長、校長、代表取締役社長…と「本物」の長の付く人たちが中心になる。責任ある立場の人からコメントをもらわなければならない場面も多いため、取材はどうしても組織の代表者に偏ってしまいがちだ。親や祖父母くらい年齢の離れた○○長さんたちに、時には非礼を承知で質問をぶつけることもある。そんな時は支局長の名を冠しているほうが、ひょっとしたら重要な言葉を引き出せるのかもしれない。けれど、そこに取材の醍醐味はない。肩書きだけの付き合いなら、それを失った瞬間、相手はそっぽを向いてしまうだろう。ペンとカメラを持って田んぼや野山に足を運べば、支局長ではない若造でも温かく迎えてくれる。どこかの大新聞グループの会長みたいに政界で影響力を持ちたいというのなら話は別だが、地域の課題を掘り起こし、住民とともに歩むには、記者という肩書きがあれば十分すぎる。