2009/4/1UP


どうぞよろしく

 角田市のみなさん、はじめまして。4月から河北新報角田支局の記者として、また一人の住民としてお世話になる高田瑞輝(たかだ・みずき)です。前任の上田敬記者をはじめ歴代先輩支局員たち同様、よろしくお付き合いください。この春まで本社の整理部に所属していました。記者が書いた原稿に価値判断を加えて見出しを付け、紙面レイアウトを考える部署で4年間を経て、久々に外勤記者業を再スタートさせます。 簡単に自己紹介させてください。生まれは北海道三笠市。角田市の姉妹都市である栗山町にも近い、内陸に位置する旧炭鉱街で高校卒業まで過ごしました。仙台に来たのは大学生になってからです。それまで東北を訪れたといえば、修学旅行だけではなかったかと思います。農家の長男なのですが、よほど東北の風土が気に入ったのか北海道には戻らず、気が付くと鍬ではなくペンを持つ仕事に就いていました。角田では妻と長女(1歳6ヵ月)も一緒に暮らしています。 支局勤務は角田が2度目となります。最初は入社2年目から4年間、かまくらで有名な秋田県横手市にいました。全国屈指の豪雪地帯なので毎日の雪かきもうまくなったと思いますが、「平成の大合併」を経験したことが強く印象に残っています。合併協議や賛否をめぐる住民運動を通じ、郷土を愛する心や地域エゴ、行政サービスとは何かを考えさせられました。(合併の是非は別にして)建前なしで住民が本音でぶつかり合う場面に立ち会えたことは、地方紙で働く者として貴重な財産を得られました。 これまで私は不思議なほど浜辺や港町とは縁遠く、ほとんどが内陸部での生活ですね。運命といえば大げさかもしれませんが、初めて来たはずなのに阿武隈川沿いを車で走る時、どことなく懐かしさを感じるのはなぜでしょう。そこに暮らすみなさんの眼差しや息づかいを想像すると、子どものようにワクワクします。「どんな人だって新聞1面トップを飾ることができるエピソードを持っている」。駆け出しのころ、先輩に言われた一言を思い出します。それは自分ですら気が付かない「ネタ」なのかもしれません。そんな誰もがもっている輝きを探すお手伝いをさせてください。 最前線の支局ほど読者の存在を感じられる部署はありません。このコーナーも私からの一方通行ではなく、一緒に悩み、泣き、怒り、喜び合える関係を築くためのサロンにできればいいなと思っています。私自身、初心者マークの付いた角田市民であり、世間知らずな30代前半の若者です。本紙を含めた意見や情報提供、批判も大歓迎なので、カメラをぶら下げた姿を見かけたら、気軽に声を掛けてください。みなさんからの反応を推進力に今日から街へ飛び出します。