2009/3/1UP


巣立ち

 ◆…いつもご愛読いただいている「あんふぃに」ですが、私が執筆するのは、今回で最後となりました。先日、仙台の本社への異動が内示され、住み慣れた角田の街とも今月末でお別れすることになったためです。まだ時間はありますが、この場をお借りして少し早めのごあいさつをさせていただきます。 ◆…思い返せば、角田への転勤が決まり、下見に来たのが四年前。本当に昨日のことのようです。国道4号を離れて堤防沿いの道を進み、市内に初めて入った時の心情を今でも鮮明に思い出します。失礼ながら「何だかぱっとしないところだなあ」と。ぐずついた空模様だったこと、また、希望した異動ではなかったこともあり、街全体が灰色に塗り込められているように見えたものでした。 ◆…地理を覚え、人を覚えるので精いっぱいだった四月。それから、いろいろな場所へ出掛け、数え切れないほどの人と出会い、それを記事にしてきました。数え上げればきりがありませんが、一つ一つの場面が頭をよぎります。 ◆…「ふるさと」という言葉がイメージさせるのは、どこまでも広がる水田に青い空と遠くの山、といったところですが、景観そのものに実は意味はないのでしょう。どんなに美しく、素晴らしい所でも、そこに人がいなければ「思い」は生まれません。自分につながる人が多ければ多いほど、愛着が深まっていく。 ◆…心を通わせられる人、尊敬できる人、憎たらしい相手、友達や知り合い、袖すり合っただけの人。自分でも不思議なことですが、角田で出会ったすべての人を大切に感じます。ふるさととは、大切な人たちが住む場所。その意味で、角田は生まれた土地ではありませんが、私にとってのふるさとになりました。 ◆…この街を思うとき、抱く印象はもう灰色ではありません。阿武隈川の河原に立って見上げる空のような、青、になりました。 ◆…私は旅行好きで、転勤がある商売は楽しいと思っていました。新しい物に次々と触れられ、退屈することがない。それは事実ですが、出会いの喜びの裏側には、別れのつらさが一体になっているのだと、今さらながら痛感しています。 ◆…このあんふぃも、当初は締め切りがくるのが嫌でたまりませんでした。中止を申し出ようかと思ったこともあります。それでも、取材先で「いつも読んでるよ」「あんふぃにの人だよね」と声を掛けていただいたことが励みになり、最後まで休むことなく続けることができました。毎月一度、一般の記事とは違う形で、読者の皆さんと対話(一方通行になりがちですが)できたのは、実に貴重な経験でした。 ◆…後任には本社から、実力と熱意ある後輩記者が赴任して参ります。人は変われども、「地域と共に(友に)」という思いは同じです。引き続き河北新報という新聞を、そして角田支局を応援していただければ幸いです。ここで出会ったすべての方へ、また、お会いすることはなくても記事を読んでくださったすべての方へ、心からお礼を申し上げます。四年間、本当にありがとうございました。