2009/1/1UP


冬来たりなば・・・

 読者の皆さま、あけましておめでとうございます。 いつも「あんふぃに」に目を通していただき、また激励の言葉をかけて下さり、 本当にありがとうございます。 早いもので角田に赴任して4回目の正月となりました。 転勤商売なので、いつまでこの街に住み 続けられるかわかりませんが、 離任の日までは精いっぱい取材に励む所存ですので、今年もよろしくお願いします。◇◇◇◇◇◆…暗い時代が来るとは思っていたが、これほどのスピードとは思っていなかった。未曾有の不況風が世間に吹き荒れている。市内でも、大手自動車部品や電機部品の工場などで、数百人規模で仕事が失われた。だが、それも始まりにすぎないのかもしれない。人員削減の波は、やがて正社員にまで及ぶ可能性が高い。そして、多くの人が職を失えば、一層モノが売れなくなり、また、サービスに金を支出することも難しくなる。こうなれば、どこまでも負のらせん階段を下り 続けることになる。 ◆…行きつけの理容店の話。今まで毎月来ていたお客さんが2カ月に1度に―などと、来店間隔があく傾向にあるという。中には半年ぶりという人も。「派遣切り」を受けたというお客さんもちらほら。「売り上げは昨年の7割行くかどうか」。表情はさえない。 ◆…それにしても、近ごろのニュースを聞くたびに 腹が立って仕方がない。日本という国は、どうなってしまったのだろう。「資本主義を標榜する世界一の社会主義国」などとやゆされても、富が適切に分配され、極端な金持ちがいない代わりに、生活できないほどの貧乏人もいない社会を、戦後の焼け野原から築いてきたのではなかったか。 ◆…学生時代、東南アジアやインドを長く旅行して、目をそむけたくなるような貧富の差を見た。その時、日本という国が先人の努力で豊かになったことそのものよりも、 世界一、平等で安定した社会を築いたことを誇らしく思った。それが、いつしか「勝ち組」「負け組」という言葉が平然と使われるようになり、貧富の差を「能力の差」と同じ意味で使う人が増えていった。 ◆…ニュースでは、仕事も家も失った人々の話があふれている。一度、貧困の泥沼に落ちてしまえば、はい上がることは難しい。決して人ごととはいえまい。大恐慌当時の米国では、4人に1人が失業した。働く人すべてがそんな境遇になる可能性を持っているのだ。 ◆…人を使い捨てにしても構わないとお墨付きを出した政治。それに乗じて利益を伸ばした製造業を中心とする産業界。そして、派遣先の方ばかりを向いて、派遣される人々に背を向ける派遣会社。厳しく責任が問われるべきだ。いや、その必要はないのかもしれない。いずれしっぺ返しが来るからだ。景気が回復しても、派遣という働き方をもはや人々は信用しない。働きたい人がいて、仕事があるのにうまくマッチしないという、労使双方に不幸な時代が訪れる。そして、無策ぶりが国民の怒りを買った与党は、政権を失うのだ。 ◆…手立てがないわけではない。オランダなどでは、正規労働者と非正規労働者がワークシェアリング(仕事の分かち合い)し、お互いの雇用を守ることに成功したという。正社員も、例え給料が数万円下がったとしても、休みが増え、明るいうちに家へ帰れるとすれば、むしろそちらを望むに違いない。何より、多くの人が不安と恐怖の中で 暮らすような、殺伐とした社会がよいとは思わない。 ◆…変化は嵐の中から生まれるとすれば、今、行き過ぎた競争と格差から振り子を反対に揺らし、互いに支え合う社会へと生まれ変わるための、産みの苦しみの時期なのだととらえよう。「冬来たりなば春遠からじ」。嵐の後に来る日差しは、今よりもっと温かなものだと信じたい。