2008/9/1UP
オリンピック
◆…空港からリニアモーターカーと地下鉄を乗り継ぎ、市内へ入る。上海駐在の商社マンである高校時代の友人が、待ち合わせ場所に指名したのはマクドナルド。少し道に迷ったが、携帯電話で連絡を取り合い、すんなりと懐かしい顔に出会えた。◆…8月下旬、夏休みを取って中国へ一人旅をしてきた。上海は学生時代にも訪問したことがあるのだが、13年前はまだ、「貧しさのかけら」がそこここに落ちていた。訪れた時期が2月だったせいか、当時の印象は色で言えばグレー。人々の服装も豊かではなかった。それが今では、表面的かもしれないが、日本の都会と変わらぬ光景に一変していた。当時の記憶たどりながら、いったいどこの国に来たのだろうと不思議な感覚にとらわれた。◆…さまざまなデザインの高層ビルが乱立し、その数だけを言えば、東京を上回っているのではないか。縦横に走る地下鉄を乗り継ぎ、所々地上を走る車窓から街を眺めていると、山手線から東京を眺めているのと変わらない。10年ちょっとで街の姿がこれだけ変貌したというのは、世界史上でも例のない出来事に違いない。強権的な政治体制だからこそできたであろう強引な開発ぶりを想像すれば、無邪気に感心していられないのかもしれないが、ただただ驚いた。◆…行き帰りの日を除いて丸3日間、上海とその近郊を観光して回った。かつて米の取り引きで栄えた水郷の町・朱家角では、瓦屋根の家々の間を水路が走り、いくぶん観光化されすぎているきらいはあるが、中国らしい情緒をたっぷり味わえた。長江の河口に浮かぶ中国で2番目(台湾も含めると3番目)に大きい崇明島にも行った。島に渡る高速船から見た長江の流れはとにかく大きく、対岸は見えず、水が茶色く濁っていることを除けば海としか思えない。いかにも大陸的な光景を満喫した。◆…といっても、観光はおまけのようなもので、ひたすら飲み、食べた。中国で一般的に飲まれているビールはアルコールが3㌫程度と軽く、水のようにいくらでも飲める。初日の新疆料理に始まり、北京ダックで締めるまで、飲み続け食べ続けで、足よりも胃袋から疲れが来た。体重が2キロ近くも増えた。◆…日本にいる時は、「段ボール肉まん事件」(後に誤報と分かったが)や「毒入り餃子事件」のニュースに接し、中国食品にはとかく悪い印象しかなかったが、現地にいると不思議と余計な心配が頭をよぎることはなかった。胃袋が要求するまま、あらゆる食べ物を口に運んだ。農家の軒先でしめられたばかりの蒸し鶏は、日本のスーパーで買う鶏肉よりもはるかに味が良かった。膨れたお腹とほろ酔いの頭で考えたのは、広大なこの国の食べ物を「中国産」と一括りにしてしまう発想の誤りだ。日本でも食品の表示偽装が度々問題になり、ニセ食品がそこら中に転がっている。どこの国にも本物と偽物がある。ただそれだけの、単純な事実をストンと理解した。◆…幸運だったのは、思いがけず五輪観戦ができたこと。上海で行われた男子サッカーの3位決定戦のチケットを友人が手に入れてくれ、ブラジル―ベルギー戦を観戦できた。八万人収容という巨大なスタジアムで、「加油(がんばれ)」の大声援を聞いた。◆…東京(1964年)、ソウル(88年)、そして北京へ。ほぼ20年の間隔で、アジアの主要国を一巡りした五輪。日本の報道では、開会式での「口パク少女」やCGの花火映像など胡散臭さに目がいくことが多かったが、中国的発想で言えば、偽装というより「見栄えを良くしただけ」という程度の話だったのかもしれない。◆…中国は今、人権問題や環境問題、階層間・地域間格差など課題は山積しているが、五輪という大イベントを無事にやり遂げたことで、世界の主要国に入る通過儀礼をクリアしたのは間違いない。かの国を否定的にとらえる風潮が我が国にはあるが、それは奔流のような中国の発展ぶりを受けた「追われる側の恐怖」の投射があるのやもしれぬ。◆…会場を埋めた中国の人々の表情は、五輪を迎えられた素直な喜びと誇りにあふれ、「国威発揚」などという小難しい理屈はくっついていなかったように思う。そんな姿を見ていると、さまざまな問題を抱えながらも、同じアジアの国がここまで発展したことに、なんだかうれしい気持ちになった。