2001/08/01UP


阿武隈川楽遊譚

 船縁に座り、川水に足をひたす。阿武隈川の水が時に深くゆっくりと、時に浅瀬を駆け抜ける。 おだやかに見えていた川面が、多彩な表情を見せてくれた。 7月29日に行われた阿武隈川のいかだ下り大会。取材もそぞろにデジタルカメラを丘に残し、いかだに飛び乗る。 延長14km、5時間ほどのショートトリップの間、川べりの自然と焼き立てのバーベキュー、そしてお酒を楽しんだ。これまで生活した土地ごとに、川にまつわる記憶は多い。生まれ故郷の仙台の広瀬川はもちろん、 煙り立つ川面が北国の峻厳な気候を教えてくれた北海道の石狩川、市役所そばまで遡上するサケが自然の営みを見せてくれた盛岡の中津川。どこでも川は身近な風景にあり、思い出の中で、今でもその涼やかな飛沫を上げ続けている。 川は不思議だ。長い延長線を持つ川は、古くから国や地域の境界線としても利用されてきた。角田で隈東、隈西といった地域呼称が残っているのが好例だろう。川向いや彼岸、対岸といった言葉をとっても、 川は統合や集約よりむしろ、「分断」「断絶」といったイメージが先行する。 でも、なぜだろう。人は川に思いを寄せ、水辺に集う。先に挙げた土地でも、川はそれぞれで地域全体の誇り、心の支柱にもなっている。 川にまつわるイメージとは裏腹に、野山に降る雨水を集め、清水が大河へ注ぎ込むように、流域の人々の思いもまた、川に集約されていく。そこに右岸か左岸か、上流か下流かの差違はない。  いかだの上から、周囲を眺める。川面を飾る色とりどりの装飾に、岸辺で手を振る人々に姿に、阿武隈川が流域の人々にいかに深く浸透しているのかがうかがえる。イベントを通じ、 分断の象徴であるはずの川が、いつしか流域を力強くまとめる奔流のように見えてくる。20回を数えるいかだ下り大会を立ち上げたのは3人の市民だったという。 古くは渡し船という細い線でつながった地域をつなぎ、自治体の枠を越えたイベントに育てたその力に、深い敬意を覚えた。