2002/07/01UP


サッカー少年の思い出

 酩酊感にも似た余熱が今も続いている。興奮の残滓が小さな鼓動を打つ。 サッカー・ワールドカップ(W杯)が終わった。歓声とともに始まった開幕戦から、感嘆の中に終わった決勝戦まで。国内開催だから時差はない。 オリンピックみたいに寝不足になることはないとの見込みはもろくも崩れた。 深夜まで解説番組が繰り返され、その後は衛星放送でテレビ放映とは別アングルの映像が続く。それぞれのゲームを反芻するように、明け方までテレビに釘付けになった。 ◇小、中学校時代にサッカー部に所属していた。サッカー雑誌に各国の人気選手の姿を追い、スター選手モデルのスパイクを履いてボールを追いかけた。20年前。W杯なんて夢物語の時代。 サッカーのスポットライトは、いつでも海外に向けられていた。それがアジア、しかも日本にやって来た。日本代表の活躍はもちろん、自宅で全試合を観戦できるチャンスをめいっぱい楽しんだ。 ◇サッカーの試合は良質な小説にも似ている。ピッチを行き交うパスが、ゴールという大団円に向かっていくつもの伏線を織りなす。鍛え上げられた選手の躯体が擦り合い、 衝突を繰り返しながら筋書きの基点を描く。90分間、あるいは120分のドラマの終局は、常に悲劇と歓喜の陰影を照らし出す。スコアすら2つのチームの実力差を正確には反映しえない。 ◇だから観戦する。絡み合ったったストーリーを読み解くように。分かるまで、じっくりと。時にスタンドの観衆と歓声を合わせ、時に悲嘆の息を飲み込みながら。 1対2、2対0なんていうスコアの整数には決して還元できない競技の魅力が、 遠くサッカー少年の日を離れて胸に蘇った。