2004/08/01UP
あの夏の景色
この季節になると思い出す風景がある。大学3年の夏。就職活動を翌年に控え、オートバイにテントと米をくくりつけて、北海道を出た。本州から毎年大挙するライダーはいても、札幌ナンバーで「逆上陸」を果たす人は少ない。新潟港に下り立ち、そのまま群馬へ南下して一転、北へ。福島、宮城、山形を駆け抜け、臨海沿いの秋田から八幡平を抜けて岩手、そして青森の竜飛岬を目指した。約2週間。一日400kmを目安に走り、夜は公園にテントで宿営した。◆気ままな一人旅。「卒業記念なら海外にでも出ればよいのに」と家人はあきれたが、心中にはちょっとした目的も据えていた。卒業後の進路は「地方紙記者」と(勝手に)決めていた。ただ、迷いは2つ。北海道に拠点を置くか、生まれ故郷の東北に帰るか。北海道には「北海道新聞」があり、当時は社内でのバイトも続けていた。北海道は既にオートバイで周回を重ね、土地の雰囲気は分かっている。「なら、東北6県も回って腹を決めよう」。進路を模索するように、アクセルを吹かして疾走を続けた。◆川があれば足をひたし、温泉を見つければ愛車を止める。行程も決めない思いつきのコースを走っている時だった。場所は覚えていない。人里を離れ、鬱蒼と茂る山道を抜ける下り道に、一軒の民家が目に入った。時刻は夕方。夕食の支度でもしているのだろうか、道路脇からでも人の気配が分かる。「こんな山奥に人が住んでいるのか」。妙に新鮮な驚きがあった。開拓、入植した北海道の農家とは明らかに違う景色。開放的ではないかもしれない、それでも、ゆるやかな時を流れる東北の暮らしをそこに感じ、しばし佇立した。「こんな土地に根ざし、この家に届く新聞を書きたい」。進路が、決まった。◆時折、東北の道路マップを開いてその場所を探す。だが、場所の記憶は鮮明でも、地名がどうしても浮かばない。角田、丸森の山間部であの夏の記憶が蘇り、ハッとさせられることもある。念願通り東北には帰ってきたが、再訪の願いは今も果たせてはいない。それでも、夢想する。あの民家に、もしや自分の記事が届いてはいないか、と。