2022/4/1UP



 思い出を語らせてください。 角田支局に着任した2019年4月1日、河北新報朝刊県内版に載った角田の記事は「角田支局移転のお知らせ」でした。角田市角田町に引っ越したのを伝える小さな告知です。その日の午前中、菅義偉官房長官(当時)が「新しい元号は令和であります」と墨書を掲げたのを見届け、市役所へあいさつ回りに出掛けました。 「支局の場所、変わったの」「中島下にある元の支局はどうなるの」 告知を読んだ市職員の方々から次々と尋ねられ、支局が角田の地に長く根付いた存在だったことを実感しました。支局だった中島下の一軒家はしばらく空き家となり、翌年12月に解体を終えました。現在は更地です。跡地がこの先どうなるか、決まっていません。 跡地といえば、七十七銀行角田支店の向かいを思い浮かべます。江戸時代創業の和菓子店「鎌田家老舗」がありました。19年5月12日をもって閉店し、店舗は残されていません。着任から10日ほどたった頃、新聞を開き、鎌田家老舗の閉店を知らせるチラシを見つけました。「創業以来約360年、長きにわたりご愛顧いただき…」とあり、歴史のある店だとは理解しました。しかし角田に来て間もないため、ニュースとして扱える話題なのかどうかが分かりません。取材で知り合った方々に聞くと「残念だ」「寂しい」「手土産はいつも鎌田家だった」と惜しむ声。「これは地域の大事なニュースだ」と判断し、店主に取材しました。記事をしみじみと読んだ市民は多かったようです。たくさんの感想が寄せられ、店主からも感謝の言葉を頂戴しました。「角田で少しは認めてもらえたかな」と初めて感じたのが、この時です。 もう1カ所、忘れられない跡地があります。裏町地区の住宅街です。19年10月の台風19号豪雨で多くの家屋が浸水被害を受けました。地区を通ると、家々の間に更地が点在しています。被災でやむなく家を解体した跡地でしょうか。台風の数日後、裏町地区を歩きました。打ちひしがれながらも家を片付ける住民たち。あちこちにできた災害ごみの山。地区の更地を見るたびに当時の光景を思い出します。市は被災を教訓に、ハード整備の指針を示す「防災・減災構想」を策定しました。河川の越水が市街地に及ばぬよう、市道のかさ上げや裏町排水機場の機能強化などを定めています。災害時に市民を守れるまちをつくれるか。裏町地区の跡地は市政の重要テーマを我々に語り掛けています。 人にも跡があります。赴任中、長谷川洋一さん、大友喜助さんと地域のリーダー2人の去り際に立ち合いました。それぞれ県議、市長を引退し、その跡を継ぐ形で新しいリーダーが生まれています。こうした角田の転換期を取材できたのは、記者として貴重な経験となりました。人口減少対策や台風被害からの復興、そして新型コロナウイルスへの対応など山積みの課題に対し、新たなリーダーたちはどのような跡を築くのか。これからが注目です。 さて、私は角田で何か跡を残せたでしょうか。振り返ると「あの時、あの人に話を聞いておけばよかった」「あの記事はもっと詳しく書けばよかった」と後悔ばかりが胸を突きます。それでも、自分にしかできない取材で読者の胸に深く染み入る記事を一本でも書けたとすれば、少しは胸を張ってもいいのかなと思います。4月から仙台本社勤務となり、3月限りで角田支局を離任することになりました。取材で関わった方、そして読者の皆さま、大変お世話になりました。この場を借りて御礼を申し上げます。「あんふぃに読んでいます」「毎月楽しみです」の声が励みでした。 この原稿をいったん書き終えた後の3月16日深夜、宮城、福島両県で震度6強を観測する地震が起きました。角田市は震度6弱。支局の近くでも、店の外壁が崩れ落ちたり、窓が割れたりと、痛々しい光景が広がっています。まちの復旧を追い、再起の跡を取材したい気持ちはありますが、後任にバトンタッチです。令和の幕開けを角田で迎え、長かったようであっという間だった3年間。支局生活の思い出は、良かったことも、つらかったことも、人生の糧です。角田の可能性が宇宙のように果てしなく広がることを祈りつつ、あんふぃに当欄の筆を置くこととします。ありがとうございました。またいつか、お目に掛かれることがあれば幸いです。 2019~21年度 角田支局  田村 賢心


2019年5月に閉店した
鎌田家老舗(中央)

2020年11月、解体
される河北新報角田支局