2020/6/1UP


1年後の「まさか」

 ちょうど1年前の「あんふぃに」のこの欄に私が書いたことを覚えている方はいますでしょうか。角田支局に赴任した1カ月半後、斗蔵山に登り、下山して車で帰途に就く際に考えたことをつづりました。以下にもう一度、一部を掲載します。  「山を下り、車で帰る道沿いでは、水を張った田んぼが陽光を受けてきらめいていました。地域にとっては例年通りの何気ない田植えの風景かもしれません。しかし、そうした日常を毎年変わらず眺められることは、掛け替えのない財産だと思います。(中略)斗蔵山登山は、角田の平穏無事を祈る機会になりました」 小田地区のことです。平穏を願った1年後の春、まさか「地域にとっては例年通りの何気ない田植えの風景」が見られなくなっているとは想像もしていませんでした。昨年10月の台風19号で土砂が流れ込み、今も泥の平原になっている農地が多くあります。とても作付けできる状態ではなく、表面が乾燥でひび割れた光景は見ているだけで痛々しく感じます。 小田地区の傷跡は農地のみならず、生活の場にも残っています。家屋の浸水被害も甚大でした。小田、裏町両地区には春先まで、復興支援ボランティアグループが毎週土、日曜に、関東や広島、石川県など全国各地から駆け付け、室内から泥を除去する作業やがれきの片付けなどを続けていました。台風の直後、グループのリーダーは丸森町で作業していましたが、隣の角田も大変な状況と知り、活動の場を移したそうです。 その後、インターネットで被災状況を発信し、有志が全国から集まりました。  リーダーは3月上旬、「角田には剥がす床がまだまだ多い。これからも通う」と話していました。この言葉通り、春になればボランティアの力で住民の生活再建支援はさらに進むと思っていましたが、ここでも「まさか」がありました。新型コロナウイルスです。感染拡大の恐れが一気に高まったため、グループは活動の自粛を余儀なくされました。宮城県は5月14日に緊急事態宣言の対象から除外されましたが、全国的にコロナ問題が終息へ向かわなければボランティアが再び集まるのは難しいかと思われます。  復旧復興の動きを再び加速させることができるのは何カ月後でしょうか。ボランティアの方々も先が見通せず、被災地への心配を募らせているのではないかと思われます。今の段階で言えることは、コロナ禍の中でも復旧復興は決して忘れてはいけないということです。1年後のこの欄では、平穏無事の日々を取り戻そうとする動きを少しでも多く報告できればと思います。


土砂が堆積した小田地区の農地

小田地区の家屋で活動するボランティア