2016/6/1UP
音楽的人間
先号に多くの反響を頂き、誠にありがとうございました。このコーナー、先輩支局員がそれぞれテーマも文体も自由に書いてきて、エッセーないしコラムは本当にセンスが問われるので怖いですが、どうぞ冗長な文章をお許しください。
昨年7月に新装開館した「かくだ田園ホール」を活用して、市民主体の文化活動を展開しようという角田市芸術文化振興会(うぇいく)の活動を取材しました。第1弾として開催されたのが、5月1日の「音つむぎライブ」。仙台の「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」の呼び掛け人である榊原光裕さん率いるバンドと、往年のTULIPのベーシスト宮城伸一郎さんという豪華な顔ぶれでした。私自身は「サボテンの花」が大好きな曲の1つで、生で聴くことができたのは喜びでした。振興会の今後に期待していますが、市民活動は継続が最も大事なので、気長に頑張ってほしいです。
ひところ、「人間は『音楽的人間』と『絵画的人間』の2つのタイプで分析できないか?」ということを考えたことがあります。音楽的人間は、起承転結といえばよいか、物事のはじめから結果までプロセスでとらえる型とします。音楽は一瞬一瞬の音の積み重ねで成り立っていくことにたとえて、こう言ってみました。これに対し、絵画的人間は、ひとめですべての結果を判断する傾向のタイプです。一枚の画面にすべてを表現する絵の特徴から考えました。どちらが良い悪いではないので、誤解しないでください。音楽的人間は最終的にハッピーエンドであればというおおらかさがあり、ある意味、寛容といえるかもしれません。そこへ行くと、絵画的人間は物事に妥協しない、明快で理路整然として潔癖かもしれません。
つまりは、私自身は「あのときこうだったから」と、時のせいにして言い訳したりしがちです。どちらかと言えば、ルーズな音楽型だと思って、自分に言い訳しています。そのせいかどうか、音楽はとても好きです(絵画も大変好きです)。
そんな私が5月、取材で心を打たれたのが、枝野小の大森太鼓です。枝野小は隣の山元町の仮設住宅を訪問し、被災者に手作りのみそを届ける学習活動を続けています。大森太鼓も、震災後に当時の6年生が取り組み始めて最初の曲を作曲し、次の学年が2曲目を作りました。被災者との交流を通じて成長した児童たちが、今回の熊本地震で被災者支援のため、自主的に募金活動を始めました。運動会で呼び掛けたのを皮切りに、今後も寄付を募るそうです。運動会で募金前に披露された大森太鼓を聴きながら、「音楽には動的な調和、共鳴という特徴もある」とかみしめていました(絵画は静的な調和というべきでしょうか)。
最後に音楽のお題でもう一つ。好きな音楽家の一人で、旧ユーゴスラビア出身のヤドランカさんという女性歌手が65歳で亡くなりました。難病のALSを患っていたとのことです。サラエボ冬季五輪のテーマ曲を作詞・作曲しました。日本滞在中にボスニア紛争が起き、帰国できず日本で活動しました。筑紫哲也のニュース23だった気がしますが、テレビで見て、ヤドランカさんのことを知った記憶があります。内戦の悲しみを歌った「サラエボよ、明日…」という曲が一番有名でしょうか。エンディングにベートーベンの「第九」の主題を持ってきていて、平和、手を取り合うことの尊さを表現しています。白石のカフェミルトンでのライブを聴きに行きました。名取でコンサートと、子どもと一緒に絵を描くワークショップをしたことがあり、当時岩沼支局に勤務していて取材にお邪魔したことがありました。それこそ、寛容さとクリアーな世界観を感じさせる方でした。音楽的と絵画的の双方を持ち合わせた人だったと思います。この場を借りて追悼の意を表させていただきます。