2012/5/1UP


素人審査員

 美的センスというか、独創性を見極める能力にはまったく自信がない。それなのに、新聞記者という肩書があるだけで、感性や審美眼を問われる仕事を依頼されることが、たまにある。加工食品、お菓子といった特産品開発を進める丸森町のコンクールに、審査員として呼ばれた。「取材を兼ねれば一石二鳥」と、安請け合いしたのがまずかった。顔触れを見ると、フードコーディネーター、観光業関係者ら「食産業のプロ」といわれるような人たちがずらりと並ぶ。何となく、いや完全に自分は場違いな存在だ。この日だけ、美食家に転職するわけにもいかない。浮いていると思ったが、後の祭り。ならば開き直って、徹底的に審査を楽しもう◆コンクールの主催者だって、私が味や加工技術、コストパフォーマンスについて評価できる能力がないことくらい承知しているはず。招待された理由をあらためて考え、商品開発に至った背景、ストーリー性を重視して採点しようと決めた。要するに「記事で紹介できそうな商品かどうか」を基準にするのだ。紙面で美術品や音楽、料理の魅力を伝えるには、写真を除けば、言葉で表現するしかない。味などの直接要素はもちろん大事だが、読者が作品のイメージを膨らませられるような、おまけ情報が記事には欲しい。「かつて養蚕で栄えた歴史を…」なんてPRされたら、おのずと点数は高くなる。これなら職業柄、乗り切れそうだ。審査は出品者との面接形式。質問をぶつけ、商品誕生秘話を聞いてみることにしよう◆そうは言ってみたものの、いざ審査会が始まると、隣に座る委員の採点が気になって仕方ない。あまりにも自分は的外れな評価をしていないか。センスがおかしいと笑われないか。本来は他人と違う独自の視点で辛口評価をしてもよいはずなのに、どうしても横並び意識が表に出てしまう。審査内容が審査されるのを心配する小心者の審査員。最後に配られた全委員の採点リストを見て、はっとした。ストーリー性などと強気だった割に、私が下した評価はあまりに無難だったからだ。食のプロたちは、優れていると思った商品に惜しみない称賛を浴びせ、そうでないものには厳しい指摘を与えた。審査の姿勢にめりはりがあった◆やはりここに来るべきではなかったか。右脳を駆使する仕事は、もともと得意ではない。それでも自分の味覚を信じて、堂々と臨めばよかったと思う。すべての出品作に自分だけ満点を付ける結果になってもいい。他人の評価に関係なく、おいしいものはおいしいと素直に表明できる勇気がもう少しあったなら、審査を楽しめたのかもしれない。