2012/3/1UP
実名と匿名
「手腕点検2012~宮城の市町村長」という週1回の連載記事が、河北新報紙面で1月末に始まった。日曜付の宮城県版で、県内の首長を1人ずつ取り上げている。「評価すべきところは評価する。批判も盛り込んだ辛口の本格読み物」をコンセプトに、関係者の談話を交えながら、市町村長の政治姿勢や政策展開、リーダーシップについて徹底解剖する企画だ。2007~08年にも連載したが、35人いる県内市町村長の顔触れが4、5年を経て変わり、世代交代もかなり進んだ。東日本大震災の難局にどう対応するのかという新たな視点も加え、連載2巡目を迎えることになった。記念すべき初回を、角田市の大友喜助市長に飾ってもらった。今夏に予定される市長選に影響を及ぼさないよう、大友氏には早めに登場していただいた◆取材して感じたことの一つが、実名で首長評を語ってもらう難しさ。自分の名前を紙面に出しても構わないという前提で、市長を批判する人はなかなか見つからない。市政への不満をたっぷり語った後で「名前は勘弁して」。市職員なら仕方ない気もするが、こういった態度は議員や各団体関係者も共通している。反市長派のレッテルを貼られると、後々面倒になると思うのは分からなくもない。単なる誹謗(ひぼう)中傷は論外としても、根拠のある批判なら受け入れてくれるのではないか。相手を敵視するほど、大友市長は器の小さい政治家ではないだろう◆報道は実名が原則だ。記事の要素「5W1H」の中で「誰が(Who)」は情報の核心であるばかりでなく、事実の信頼性担保にもなる。名前の有無で、記事の説得力がまったく違う。プライバシーや個人情報保護の意識の高まりがあるにせよ、実名報道の原則は今後も変わらない。その上で、名前をさらせば立場が危うくなる内部告発者、更正・社会復帰を考慮すべき少年事件などは匿名にしている(先日の山口県光市母子殺害事件の最高裁判決報道では元少年の実名を出すか否か、マスコミ各社の判断が分かれた)が、あくまで例外でなければならないと思う。「Aさん」「少年B」などと、人を記号化することは本来好ましくない◆再び「手腕点検」の話。こちらは記者側も実名で執筆する、いわゆる署名記事だ。書いた内容について、責任を取る覚悟の表れと言えば大げさか。身の危険を感じるとまでは言わないけれど、名指しで記事に対する批判が来るかもしれないという緊張感は常にある。が、そういう時に限って、寄せられる意見や批判の主が匿名だったり、連絡先不明だったり。反論したくてもできず困ってしまう。「顔」ならぬ「名前」の見える関係を築くのは、意外と難しい。