2012/2/1UP


年賀状

 年末年始を北海道の実家に帰省して過ごした。角田の自宅に戻ると、真っ先に郵便受けを確認した。束になった2012年の年賀状。いつもなら「あの夫婦に子どもが生まれたんだ」「ずいぶん遠くに引っ越したねえ」なんていう会話を家族で交わしながら眺めるのだが、今年ほど一枚一枚の文面に込められた思いを感じとることができた年はない◆被害の有無や大小に違いこそあれ、人は東日本大震災を経験した。喪中の世帯が例年以上に多く、自宅を失うという厳しい環境の中で新年を迎えた人たちも同じ県内にいる。復興も緒に付いたばかりの現在、年始の決まり文句を気軽に使っていいものか、被災者を傷付けないか、悩んだ家庭は少なくないはず。市販のデザインにもその傾向がみられた。「おめでとう」という文言が避けられ、代わりに「絆」「希望」といった言葉が店頭に並んだ。実際に届いた年賀状を手に取ると、控えめにあいさつ文をつづったり、寒中見舞いとして送ったり、「復興元年」の決意を表明したり。逆に自粛一辺倒では何も始まらないと、あえて「おめでとう」と表現し、よりよい年になるよう祈った文章も目立った。干支の辰にかけて復興への願いを託された昇り龍には、はがきから今にも飛び出しそうな勢いがあった◆さて、わが家といえば、ここ数年、友人や親類だろうと上司、取材先だろうと関係なく、長女の写真をメーンにした親バカと思われそうな年賀状を送っていた。今回は妻と話し合い、娘の写真を使用するのをやめた。辰だけのデザインを取り入れ、「笑顔あふれる明るい年に」と書かせてもらった。「ありがとう」の言葉も添えた。津波や原発事故に苦しんでいる人たちが見たら、軽い言葉に映ってしまったかもしれない。それでも本音で書いたつもりだ◆どんな文面が理想的か。模範解答はおそらく存在しない。被災者に寄り添いたいという気持ち、支援してくれた人への感謝。さまざまな相手に思いをめぐらせたことに意味があったのではないかと考えている。年始のあいさつを携帯電話のメールで済ませるなど、震災に関わらず、年賀状の売り上げは年々減少の一途をたどる。そんな状況の下、2012年の年賀状は、自分や他者の気持ちと向き合い、筆を走らせる素晴らしさをあらためて教えてくれた。普段顔を合わせる人から年に一度のやりとりだけ続いている人まで、人間関係の濃淡はいろいろ。社交辞令もないわけでないが、近況を報告し合えることの幸せをかみしめている。