2009/12/1UP


見出しのココロ

 当たり前といえば当たり前が、どの新聞でもスポーツ記録など一部を除き、ほとんどの記事に「見出し」が付いている。 たかが見出しと侮ってはいけない。限られた文字数で記事の要点をまとめ、読者をニュースの世界に引きつける役割は 想像以上に大きい。朝の忙しい時間帯なら見出しだけを眺めて出掛ける人も多いだろう。まず「角田」の文字を見つけ、 地域ニュースを探す市民もいるかもしれない。外勤記者が書いた記事や写真を生かすも殺すも、見出しにかかっている。 どんなに役立つ情報が紙面に載っていても読者の目にとまらなければ何の価値もないのだ◆わたし自身、角田支局に 赴任する前の4年間、見出しを付けて紙面レイアウトを考える「整理部」という所にいた。一般の人にはあまりなじみが ない部署だが、本社では報道部に次ぐ大所帯で、部員たちも「整理記者」と呼ばれている。原稿1本1本に目を通し、 扱いを考えたり価値判断を加えたりしながら素材を料理する。見出しは「簡潔に正確に」が鉄則なのはもちろんだが、 読者をうならせるのも大切だ。そういった珠玉の言葉を探すのは簡単ではない。わたしも締め切り時間が迫る中で胃の 痛む思いを何度も経験した。それでもぴったりの表現がひらめいた時の快感は何物にも代え難く、なかなか奥が深い 仕事だと思っている。ただし刺激的な見出しを追求するあまり、現場の記者が考える以上に誇張してニュースを解釈する 危険性も併せ持っているから厄介だ◆駆け出しの警察担当記者だったころ、来日して間もない中国人女子留学生2人が 住む仙台市内のアパートに強盗が入り、生活費の一部を奪われるという事件があった。わたしは翌日の朝刊を見て驚いた。 社会面に載った記事には「『日本は安全』うそだった」と大きな見出しが躍っていた。見出しを読むと、被害にあった 留学生がそう話していたかのような印象を受けるが、実際にそんな発言はなく、担当した整理記者が想像を膨らませて 付けただけの話。不謹慎な言い方をすれば、「より面白い」表現をひねり出したのだ。「留学生たちは事件後、日本の 警察の対応に感謝してくれたのに水を差すつもりか」と、警察署長からお目玉をくらってしまった◆あの時の悔しさは 10年近く経った今でも心に染みついている。原稿の最初の読者である整理記者にさえ、思いが伝わらないのかと。 角田の記事を書くようになってからも首をかしげたくなるような見出しに出合うことが、まれにだがある。それでも 「見出しが不正確なのは原稿が下手くそだから」と言われれば、返す言葉が見つからない。現場を見ていない整理記者と 思いを共有するには結局のところ、自分の筆力を磨くしかない。