2008/4/1UP
料理人
◇…先日、日ごろお世話になっているある団体に頼まれて、ちょっとした講演をする羽目になった。 記者というのは人に話をさせるくせに、自分で話すのは苦手な人種だ。案の定というべきか、自分でも何が言いたいのかよくわからない状態で小一時間ほど苦しんだ。「記者から見た角田」というテーマだったのだが、大それたことを言えるほどの立場でもなく、半分ほどの時間を「新聞記者の仕事とは」というような話で何とか取り繕った。終わってみると、もっと別の言い方があったのではとか、この話に触れればよかったとか、後悔することばかり。講演会なり政治家の演説なりを取材するたびに、「しゃべりがへただなあ」とか「中身がないねぇ」などと、たいてい腹の中で毒づいてきたものだが、ある程度まとまった話をするのは実に難しい作業だということがよくわかった。今まで鼻で笑ってきたみなさん、ゴメンナサイ。そんなわけで、「記者とはなんなんだ」ということを、今さらながら考えてみた。例えるなら、料理人に似ているということ。取材というのは文字通り素材を集めることだし、記事の材料は種(たね)を逆さ読みしてネタと言う。行数が稼げない時には、過去の経緯を長めに紹介したり、あまり重要ではない談話を盛り込んだりして「水増し」と「つなぎを入れる」という禁じ手ぎりぎりの技も。「ふくらし粉はないか」なんていう言い回しも存在する。もちろん、豚肉を牛肉と偽るような食品偽装は絶対に御法度だが。新聞は毎日オープンのお店だけれど、そうそういいネタを仕入れられるわけでもない。そんな時は、料理人(記者)の技量が問われる。必死に仕入れ先(ネタ元)を回ることもあれば、ある材料に手を加えて、何とか恥ずかしくない程度の料理を(原稿)出さなければいけない。もちろん、料理は素材が命。飛びきりのネタには余計な手を加える必要がない。持ち味を殺さぬよう、鮮度が落ちないうちにお客さん(読者)に提供すればいい。中でも、他店(ほかの新聞)にはない珍しい料理を出せれば、料理人の評価はぐっと高まる。いわゆる「特ダネ」だ。 時には仕入れ先から、あまりよくないネタを売り込まれることもある。 料理の仕方、つまり書きようで形にはできるけれど、そんなことをすれば舌の肥えたお客さんにそっぽを向かれる。きっぱりと「使えません」と断る勇気も必要になる。ただ、日ごろの付き合いやら慢性的なネタ不足やらで、そうも言っていられない場合があるのが悩ましいところだ。いずれにしても、今の仕事ができるのは、お金を払って食べてくれる常連さん(読者)がいればこそ。マンネリや手抜き料理で飽きられて店がつぶれないよう、仕入れの手間を惜しまず、日々技量を磨くことを忘れてはならないと自戒している。さて、四月からも引き続き、角田支局の「料理人」でいられることに決まった。新年度はもっといい料理を出せるよう研鑽に努めるので、また一年、ご愛顧をお願いします。