2008/3/1UP


作 法

 ◆…外国語指導助手(ALT)が日本の厄払いを体験。二月二十七日付の本紙に掲載した記事の取材で、枝野地区にある住吉神社にお邪魔した。ついでに、というか主催者側のご好意で、私も取材と平行して一連の神事に参加させてもらった。◆…気が向けば初詣でには行くし、旅先で名のある神社を見つければ参拝することもあるけれど、もともと宗教心が薄く、祈祷代をケチるせこさもあって、実はちゃんとしたお祓いを受けたことがなかった。記事のポイントは「外国人が異国の習慣に触れるのが珍しい」というところにあったのだが、取材している当人にとっても初体験。儀式の一つ一つが知らないことばかりで、米国出身の三人が覚えたであろう新鮮さな驚きを、同じように味わわせてもらうことができた。◆…恥ずかしいと思ったのは、これまで何百回も神社には行っているのに「お参りの常識」を知らなかったこと。いつもは賽銭を投げて鈴をじゃらじゃら鳴らし、軽く手を合わせる程度。実にいいかげんな手順で済ませてきた。 宮司さんから参拝の作法を教えてもらえたのがうれしかった。◆…手水を使った後は、ひしゃくを縦にして柄に水を流し、次の人のために清める(他人への配慮を忘れないというのが素敵だ)。 参道の真ん中は人の歩く場所ではなく、神様の歩く道だから少し脇を通るようにする(今までは真ん中を堂々と歩いていた)。建物の前まで来たら、さい銭を入れ(「入れなくても構いません」と宮司さんは控えめに言った)。鈴を鳴らし、二礼 二拍一礼する(どのタイミングでさい銭を入れるのかいつも悩んでいた)。正しい作法に従ってみると、不思議と心と体が引き締まるような気がした。◆…人知の及ばぬ苦境にさらされた経験がなかったせいか、これといった信仰はないのだが、最近では信仰せずとも宗教を知ること、考えることは大切だと思うようになってきた。一神教が説くような「大いなる神」にすべてを委ねれば心が安らげそうだし、神道をはじめ多くの民族的な宗教が持つ「万物に神が宿る」という自然観は自分の子どもには大切にしてもらいたいとも思う。◆…作法の話に戻すと、神を実存のものとした場合、いいかげんな態度では人間の勝手なお願いは聞いてくれないだろう。一方、「神は心の内にある」と考えたとしても、心そのものを研ぎ澄まさないと神と向き合うことはできない。だからこそ、それぞれの宗教で儀式や作法が定められているのではと、浅はかな想像を巡らしてみた。◆…さて、自分が常識知らずなだけで余計なお世話かもしれないが、あえておすすめします。テキトーなお参りじゃなく、ぴっちりとした参拝をしてみることを。きっと、新鮮な感覚が得られることでしょう。