2007/10/1UP


前 へ

 ◆…数年前、冬山遭難の現場に出向いたことがある。四人パーティーが大規模な雪崩に巻き込まれ、一人が行方不明だという。 現場近くのスキー場で偶然遊んでいたところへ連絡が入り、そのまま捜索基地になった登山口の温泉場に向かった。◆…警察やら役場やら、間接的に聞いて回る取材は実にもどかしく、それでいて中身が薄くなる。 だから、とにかく現場へ行きたかった。たまたま冬山装備を持っており、土地勘もあった。現場の尾根まで登山口から三、四時間かかる。登山経験がないと厳冬期の山には入れず、他社が現場に行く可能性は少ない。「自分だけのスクープ写真が撮れるかも」。そんな色気もあった。 ◆…救出を急ぐ捜索隊に同行を申し出ても許されるはずがなく、時間を少しずらして踏み跡をたどることにした。翌朝一番で出発する捜索隊と、それを映すテレビカメラの列。騒ぎの輪をそっと離れ、捜索隊を追って一人でどんどん山を登っていった。 恐れも疲れも感じず、ただ「とにかく写真を撮りたい」ということしか考えなかった。ようやくたどり着いた現場で、救助作業の様子をカメラに収めた。不明の一人は残念ながら亡くなっていたが、生存者の談話も聞けた。四人を襲った巨大な力のことを、肌で知った。 ◆…翌日、自分よりもっと臨場感のある写真が、いなかったはずの他社の紙面に載った。首をひねりながらよく見たら、写真説明に「捜索隊からの提供」。力が抜けた。だが記事そのものは、その場にいたからこその内容だったと自負している。 ◆…九月二十八日の本紙朝刊に、衝撃的な写真が掲載された。ミャンマーの民主化デモで、兵士の発砲を受けて死亡した日本人ジャーナリストの姿。銃で撃たれ路上に倒れながらも、右手に持ったカメラを放さない。逃げまどう市民の姿を最期まで撮影し続けようとしたのか、 大切な物だから守ろうとしたのか。しばらく目が離せなかった。写真から伝わるのは、無念さとともに「前へ」という強い思いだった。◆…事件をまた聞きのストーリーではなく、実像として伝えるには、現場の中心点により近い方がいい。圧政下の国民もまた、 「見てほしい、写してほしい、そして伝えてほしい」と切実に願っているはずだ。カンボジアやルワンダでそうだったように、国際社会は利害にかかわらなければどんな蛮行が起きても見て見ぬ振りする。救いの手を出させるためには、各国の市民に訴え、動かしていくしかない。 ◆…彼はそんなことを考えていたのではないかと想像しながら、私は新聞から切り抜いた写真を見ている。