2005/01/01UP
古里の顔
昨年末、仙台で開催された忘年会に出席するため、阿武隈急行に乗って夜の仙台駅前に降り立った。チカチカとまたたくネオンが目に痛い。電飾の木々の輝きが濃い闇をはるか冬空へと追いやり、それが冬風の厳しさをいっそう際立たせる。雑踏。人混み。携帯電話を片手に、人々が私の傍らを過ぎてゆく。歩くペースさえも何かしら気ぜわしい。眼前には、東京や札幌でしか見たことのなかった量販店の看板が鎮座する。ここ数年、仙台といえば歓楽街に直行するケースが多かっただけに、久々に見る仙台の「顔」の変貌ぶりに、しばし佇立した。◇かくいう私は仙台生まれの仙台育ち。通算でc年以上を過ごした古里に相違はない。それがどうだろう。ここ最近の急速な都市化ぶりは驚くばかりだ。都市部と住宅地を結んでくれた路面電車は今はなく、怜悧なモーター音を響かせる地下鉄にその座を譲った。屋上のささやかな遊具施設が楽しみだったデパートは姿を消して久しい。喧噪なんて想像もできなかった実家近くの田圃に囲まれた通学路は、アパート群に生まれ変わり、朝晩の渋滞が日課となった。多くの人を飲み込み、都市機能を充実させ、肥大する街。時折訪れる古里は、私のような出身者に懐かしさよりもむしろ、苦い疎外感を強要するようになっていた。◇もちろん、都市にとって変化は成長につながり、停滞が衰退に直結することに異論を挟むつもりはない。でも、がむしゃらに効率化を追求し、無秩序に発展した大都市の先例をなぞる必要なないだろう。守るもの、残すべき物事だってきっとあるに違いない。◇帰路。再び鉄道を使って角田に戻り、フッと肩の力が抜けていくのを感じる。ほほを打つ風もどこか優しい。「古里はどっちだっけ」。そんな間抜けな感慨を抱きながら、通いなれた支局への道を急いだ。